それでも岩に向かう

 私が初めてセントラルパークにあるラット・ロックという壁を見たのは、2007年の夏、6歳のときだった。私は友達と公園内の遊び場にいて、みんながその岩に向かって駆け出したので私もその後を追った。そのラット・ロックというのは、セントラルパークの南西の隅にある地上30フィート(約9m)のずんぐりした丸い岩の塊のことだ。岩の下まで駆け寄ると、岩の周囲に頂きを目指して登ろうとしている人たちがいることに私は気づいた。

 けれども、その人たちはただよじ登っているのではなかった。その動きには法則があるように見えた。まるで頂きに向かってゆっくりとダンスをしているかのようだった。友達みんなが遊び場に戻っていく中で、私はこのダンスに魅了されてくぎ付けになっていた。

 私には彼らが何をしているのかわからなかったけれど、自分もやってみたいと感じたのは確かだった。

Eddie Gianelloni Media/Aurora Photos
Eddie Gianelloni Media/Aurora Photos

 次にセントラルパークに行ったとき、私は岩の東傾斜にまっしぐらに向かっていた。あるクライマーが私にイージーオーバーハング、つまり初心者向けの壁のクライム(クライミング用語で言うところの”課題”)に挑戦してみないかと誘ってきた。それはV0(ゼロ)というグレードで、最も初心者向けのものだった。

 おそらくほとんどの親は6歳の子どもに岩には近づかないように言っただろう。でも、私の両親は私がヤンチャなことをするのに慣れっこだった。私はジャングルジムで時には3〜4時間も手から血が滲むほど遊んでいた。一振りでいくつかのバーを越えたり、垂直にバーにぶら下がろうとせず、バーの上に立ってバーからバーへジャンプしたりしていた。だから、そんな私が大きな岩に登りたいと思うことは、私の両親にとってみれば驚くことでもなんでもなかった。私の父はその様子を楽しそうに見つめていた。

 他のクライマーがやっていることの見よう見まねで、私は両手両足を岩面に置いてみた。とりあえず、やってみたのだ。いくつかの岩の突起物を掴むことはできたけど 、履いていたテニスシューズは滑りやすかったので私は落下してしまった。地上からたった2フィートで、クラッシュパッドと呼ばれる柔らかいクッションに落ちただけだったけど、痛かったなぁ(笑)。

 次の日、私はイージーオーバーハングに戻った。その次の日も、その次の日も、そしてその次の日も。毎回少しずつ上のほうに登れるようになったが、登り切ることはできなかった。

Olivier Renck / Aurora Photos
Olivier Renck / Aurora Photos

 初めてこの課題に挑んだ6日後、両親はクライミングシューズを買いに連れて行ってくれた。我が家は決して贅沢できる余裕はなかったけど、両親はクライミングがすぐに私にとってかけがえのないものになることがわかっていた。翌日、新しいクライミングシューズを手に岩に戻った。

 靴を履いて紐を結び、岩壁に両手両足を置き、一気に頂きまで突き進んだ。

 岩から降りた後、私は父のもとに駆け寄り、父を岩のすぐそばまで連れてきて私がどのように課題を克服して登ったかを見せた。20回以上見せたのは間違いない。自分を本当に誇らしく思っていた。

 2年後、アメリカンボルダリングシリーズ・ユースチャンピオンシップの女子11歳以下の部で優勝したとき、パワー・オブ・サイレンスという、テキサスのフエコ・タンクス州立公園・史跡のV10という難関の岩場を登って、V10最年少完登者となった。

 そして10歳のとき、学校でやっと分数を学び始めたころには、最年少でV13を制覇していた。

 そのころ、私は自分の記事が世にバンバン出ているのに気づいた。ガーディアン、NYタイムズや ザ・ニューヨーカーのような有名メディアがインタビューを依頼してきた。

 クライミングの大会では、駆けつけたファンからサインを求められるようになった。私の最初のサインはフリースジャケットにだった。私はその持ち主の女性からサインだけでなく、その人に向けたメッセージを求められた。

 私は思った。ちょっと待って、私が誰かに影響を与える存在になったというの?

 多くの人はクライミングは手の力がほぼすべてだと思っているが、実はそうじゃない。全身を使う必要がある。体幹、肩、指、脚、足…… ほぼすべてだ。クライミング初心者は大抵、課題の上で次の手の置き場を探すが、実は次の足の置き場を探すほうがいい。そうすることでバランスが整うからだ。

 ルートや課題に最初にアプローチするとき、自分自身の体で自分がどう登るかを考えなければいけない。他の人がどのようにしたかとか、他の人がクライミングするためにどのように全身を使っているかを観察しても仕方ないのだ。これが私がクライミングが大好きなところの1つだ。クライミングに理想的な体格や体型はない。私は身長5フィート1インチ(約153cm)で体重は90ポンド(約41kg)だ。私のような体格のクライマーは、大きくて筋肉質な腕を持ったクライマーと同じくらい多くいる。

Samantha Appleton
Samantha Appleton

 クライマーなら岩の上では優雅であるべきで、そして頭脳を駆使しなくてはならない。斜面を目の前にしたとき、まるでパズルのようにルートを想定する必要がある。私は斜面にルートを組み立てるのが本当に楽しい。そしてもし失敗したら、もう一度組み立て直して、実現させるためにどうすれば自分の体をベストに使えるかを考え直すのだ。

 父は幼いころから多くの手助けをしてくれた。クライミングの経験者ではなかったけど、彼はプロのダンサーであり、クライミングとダンスには多くの共通点があるのだ。

 父は私に、壁に向かう前に極限まで集中し冷静沈着になる方法を教えてくれた。自分の能力の限界まで登ろうとするとき、気が動転していてはいけない。不動の心を持つ必要があるのだ。ダンスも似ている。集中力を高め自分自身にフォーカスし、もはや何も考えていないほど無心の状態にまで至らなければならない。

 そして、幾度となく岩から落ちるということも心得ておかなければならない。

 チャレンジとは落下するたびもう一度立ち上がって、斜面を見て次はいかにうまく登れるか計画を立てることだ。それはまさに人生のようでもある。乗り越えようとする課題があるとき、ただそこに座っていても仕方ない。問題について考えて、それを攻略する別の方法があるか確かめるべきだ。やってみなきゃ何も始まらない。

 私は幼いとき、壁から落ちることについて深く考えていなかった。いや、全く気にしてなかった。そして落ちてもすぐに立ち上がって、また壁の前に身を置いた。とにかく私はクライミングし続けたかった!

 成長するに従って、壁に向き合っているとき、クライミング以外のフラストレーションが私の意識の中に徐々に入り込み始めた。本当に難しい課題に挑んでいると、ギブアップしたくなるときもある。でも、私は諦めない。深呼吸をして、一所懸命やれば何事も可能になるんだと自分に言い聞かせるのだ。

 私に対する注目はポジティブなものばかりではなかった。私の性別や両親、ルーツにまで酷いことをいう人が現れてきた。

 上までひっぱり上げてもらったんだろ。

 すごいよね……女の子としては!

 アジア人としては、いいだけでしょ。

 彼女がクライミングをしたいんじゃなくて、両親がさせているだけだ。

 最初の2つはたとえそれがどんなに馬鹿げたことであっても、そう言った意見が出ることは想定内だった。性別はクライミングに全く関係ない。女性は男性と同じくらい良いパフォーマンスができる。私は成人男性でも登ることができないルートや課題を登ってきた。

I’m a 15 year-old-girl who just happens to climb a lot. /
I’m a 15 year-old-girl who just happens to climb a lot. /

 でも、その他のコメントは……

 私はいつも平静を保っているけど、時には、アジア人であることや両親のことを言われることには本当に憤慨する。アジア人であることの何が問題なの? 私が壁や岩場を登るのに、それがなんの関係があるの?

  両親には感謝しても感謝しきれない。私は自分でクライミングを見つけて、両親は私がその道に進むことを応援してくれた。両親がクライミングを無理強いさせたという憶測は、大間違いだし本当に傷つけられる。

 SNS上でのバカげた投稿に対しては、もちろん言い返すこともできた。でも先ほど話した通り、クライミングにおいては自分の気持ちをクリアにして無心でいなければいけない。だから、嫌なことをいう人たちのことを忘れて、ただひたすらに新しい記録を作り続けた。それが私の姿勢だった。

 私はABSナショナルズで5回連続優勝して、3年前には難関のV14を攻略した最年少クライマーになった。

 そして2014年12月、私はアメリカから宮崎県の比叡山に向かった。V16の次に難易度の高いV15グレード、ホライゾンという課題名の岩場を登るためだった。

 それは今まで私が挑戦してきた課題とは全く別物の難関だった。ここでは、逆さまになってからスタートをする。それに、岩の突起が掴むには小さすぎる為、足でぶら下がるしかない。他の多くの課題とは違って、休息したりリカバリーが許されるポイントはないから、全身を常にフル活用しなければならない。ほとんどの岩場の課題では、状況に合わせた動き、すなわちムーブが多くて8つか、もう少しある程度だ。ところがこのホライゾンでは30ものムーブが必要で、そのほとんどの動きは逆さまだったり、身体が本当に難しい角度にならざるを得ない。そして最大の難関はまさに最終地点にある。私は毎日、どのように各課題を繋ぎ合わせ、どのトリックとホールドを組み合わせこれを攻略するかを考え続けた。

Samantha Appleton
Samantha Appleton

 そして最終日、ついに最後の難関にまでたどり着いた。私がやるべきことはそれを攻略して、ホライゾンを登った史上2人目、しかも最年少のクライマーになることだ。

 落ちた。

 もう一度、挑んだ。最後のムーブまでたどり着いたが、また落ちてしまった。

 私ほど、私自身にプレッシャーを与えることができる者はいない。私が恐れているのはfall、つまり落ちることでは決してない。本当に恐れているのはfail、つまり失敗することだ。私は負けん気が強いから、自分ができると思ったことができないと、よりいっそう夢中になってしまう。

 私はこの課題を登ることができる自信があった。身体は痛くて疼き、指もずきずきしていたが、登らなければいけなかった。岩に戻って、再び登り始めた。少しずつゆっくり進んだ。指は濡れた岩の割れ目を握り締め、足は使えるならどんな場所でも置ける場所を探そうとしていた。それはまるで永遠に続くかのように長い時間だった。だがついに、前日2回できたのと同じように、最後の難関までたどり着いた。

 いよいよだ。これが最後のムーブ。最後の一手となる。ついに手が届き、持てる力のすべてを振り絞った。そして……落ちた。

 登り切ることができなかった。

 最後の挑戦を終えると、私の身体は動かなくなっていた。もう、壁に戻る余力は残っていなかった。ニューヨークに戻るときが来たのだ。

 その夜、泣き続けた。私は父にホライゾンを完登できるまで滞在できるように、フライトの延期をお願いしてみた。でも、そんなことはできるはずもなかった。

 私は本当に打ちのめされていた。ただ、この世の終わりじゃないことはわかっていたし、次のチャンスがあるのも分かっていた。

 もし、私にとって大切なことがクライミングだけだったとしたら、ホライゾン完登に失敗して私は立ち直れなかったかもしれないし、ホライゾンに挑戦するよりずっと前に燃え尽きていたかもしれない。でも、クライミングだけが私の存在意義ではないんだ。私は料理が好きで、ファッションショーを見に行ったり、靴を買いに行くのも大好きだ。私は友達といるとき、全くクライミングの話はしないし、私たちは普通の10代の子がするような会話をしている。私は、たまたまクライミングをたくさんしているというだけの15歳の女の子なんだ。

Samantha Appleton
Samantha Appleton

 2015年春、私は再び比叡山に戻った。今回はホライゾンに登るために12日間あったから、プレッシャーは少なかった。最初の2日はうまくいかなかったけれど、時間があるとわかっていたからパニックにならずにすんだ。

 3日目、何かがカチッとはまった感覚があった。課題をクリアしていくと、私は自分の身体と調和して無の境地に到達していた。指や足は岩に走る亀裂の間にうまくはまっていった。

 ついに課題の最大の難関にやってきた。

 そして、今度は落ちなかった。

 これまでたくさんの岩場に身を置いて来たが、私はいま、世界で女性初、しかも最年少でのV15覇者となったんだ。

 私はまだ15歳で、これからクライマーとしても、一人の女の子としても、いろんな挑戦に向き合っていくと思う。時には失敗もするかもしれない。でも、失敗はいつも終わりではなく、学ぶことができるチャンスなのだ。そうクライミングが教えてくれた。失敗は一歩下がって考えるいい機会であり、そうすることで私の前に立ちはだかる課題を別の見方で捉えることができる。そして深呼吸して、私は再び壁に戻るんだ。