人類史上初の9m

写真:長田洋平/アフロスポーツ

 幼い頃に見た世界陸上やオリンピック。

 “速く走る”
 “遠くに跳ぶ”

 ただそれだけで、こんなにも世界中の人を魅了できるのかと心が高ぶった。

「世界で一番になったときの景色はどんなものなんだろう」

 あのときに抱いた感情が、今の僕の夢にリンクしている。
 “夢”って、子どもの頃のままなのかもしれない。

『人類初の9m』

 競技人生をかけて成し遂げたい僕の“夢”。
 世界で一番になったときの景色を僕はみるんだ。

“跳ぶって楽しい” その気持ちが、あの瞬間、僕の心に刻まれた。

橋岡優輝

 小学校の授業で、初めて跳んだ走幅跳。あの授業がなかったら、おそらく今、違う種目か別の競技をやっていただろう。

 僕は友だちの誰よりも高く、そして遠くに跳べた。

 “跳ぶって楽しい”
 その気持ちが、あの瞬間、僕の心に刻まれた。

 ただ、すぐに走幅跳の選手になったわけではない。
 同級生より少し速く走れたこと、そして両親が元々陸上をしていた影響もあり、中学で陸上部に所属はした。しかし、山をつくって遊ぶような砂遊び用の砂場しかない環境だったので、走幅跳はできなかった。

 だから僕は、中学1年のときは短距離走、中学2年からは混成競技の四種競技をしていた。

「走幅跳がしたい」

 僕の気持ちは、くすぶり続けた。
 そして、環境が整った高校に入学したことを機に、念願の走幅跳を本格的に始めた。

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 高校3年でインターハイ優勝、2018年U20世界選手権金メダルなど、カテゴリー別では頂点、そして世界一になることができた。
 ただ、僕の夢はずっとその先にある。まだかすかにも見えていない世界だ。

 8m95cm。

 1991年の世界陸上で、マイク・パウエルさんが打ち立てた大記録。
 あれから、ちょうど30年。世界記録が昔のままで止まっている。

 なにが要因かはわからないけれど、世界記録が更新されるタイミングは、30~40年などの周期でおとずれることが多い。

“自分が達していない領域”を感じ、それを越えていかなければならない。

橋岡優輝

 当然、今のままで人類初の9mを達成できるほど、甘い世界ではないことはわかっている。
 ただ、現時点で、自分が満足できる跳躍には到底及んでいないからこそ、僕には9mという大記録を成し遂げられる可能性が秘められていると思う。
 9mに辿り着くためには、そこに向けて順序立てて、一つひとつ達成していく必要がある。今は、まだ完成に近づけていく努力段階といった感じだ。

 22歳で迎える東京オリンピック。
 もちろん表彰台も狙っているが、僕のなかでは通過点と位置づけている。
 だからこそ、東京オリンピックでは8m50は跳ばなければならない。なぜなら、それによって、新しい感覚を得ることができたり、次のステップへの新しい扉が開けるんじゃないかと思っているからだ。年齢的にも、まだまだこれからより活躍できる年齢になっていく。パリ五輪、そしてその先のロサンゼルス五輪をキャリアのピークに見据え、8m70、8m90というアジア人では未だ見たことのない数字をクリアし、僕はかならず夢を叶える。

 そのためにも、“自分が達していない領域”を感じ、それを越えていかなければならない。

写真:YUTAKA/アフロスポーツ 

 空中で左右の足を2回入れ替える“ダブルシザース”での跳躍もその一つだ。
 反り跳びで跳躍していた大学時代。
「いずれは跳び方を変えなければならない」と考えていたが、そのときは、自分でも予期しないタイミングで突然やってきた。

 大学2年のときに出場したゴールデングランプリ大阪。
 全くシザースを練習していなかったが、試合で急に跳び方が変わった。跳躍後に森長先生に「今、どう跳んだ? シザースで跳んでたよな?」と聞かれたが、自分でも無意識だったのでわからない。

 世界を見渡せば、多くのトップレベルの選手がシザースで跳躍している。
 世界記録を持つマイク・パウエルさんも、この跳び方で8m95という大記録を樹立した。夢を叶えるためには、必ず自分のものにしなければならない跳び方であることは間違いない。
 ただ、急に跳び方が変わった反動で記録も安定せず、試行錯誤することも多かった。だから一度、以前の跳び方に戻そうとしたが、勝負時の局面になると、どうしてもシザースになってしまう。
 このことで「今が変える時期なんだろうなあ」と痛感し、より世界に近づくためにシザースを極めようとしている。まだまだ空中動作など達していない領域が多いが、夢を実現するためには、必ず習得しなくてはいけないものなのだ。

新しい次元の世界を、カール・ルイスさんは教えてくれたのだ。

橋岡優輝

 2019年3月、僕に幸運な出会いがおとずれた。アメリカのヒューストンにあるテキサス大学で開催される「テキサスリレー」という試合に出場することを目的に、合宿を兼ねて僕は海を渡った。そのとき、カール・ルイスさんを教えたトム・テレツさんから指導をしてもらう予定ではあったが、なんと、運よく陸上界の伝説カール・ルイスさんにも教わることができたのだ。

 そこでも、また僕は“自分が達していない領域”を思い知ることになった。

 僕の跳躍を見てくれたカール・ルイスさんのアドバイスは、まさに“僕の達していない領域”。
「イントゥ(into)」「イントゥ(into)」
「もっと踏切に向かって入り込んでいけ!」
 これまでの僕の助走は、最後の4歩を踏切に向かって、リズムを上げながら駆け上がっていく感じだった。リズムアップするっていうイメージでしか今まではなかったのだ。
「イントゥ」「もっと勢いをもって入り込んでいく」
 この表現の跳躍には、僕の考えは至っていなかった。

 その言葉を聞いたとき、僕は衝撃を受けた。
 自分の助走で上げてきた出力を消さない踏み切りをするためには「入り込む」。
 その意識、そういった感覚をもって踏み切りに向かっていかなければならないのだと初めて知った。新しい次元の世界を、カール・ルイスさんは教えてくれたのだ。

この1年、うまく成長ができた期間だったと感じている。

橋岡優輝

 あれから、自分でも成長を感じることが多くなっている。
 特にこの1年は、より深く、そして鋭くなったような感覚だ。
 新型コロナウイルスの影響で、東京オリンピックが1年延期されたが、昨年、予定通りに開催されていたら、8m20台をコンスタントに跳べる安定感、8m50も見えてくる状態にはなっていなかったと思う。そういう面では、この1年、うまく成長ができた期間だったと感じている。助走の出力という部分、跳躍全体の完成度も、1段階レベルアップできた。いい形で東京オリンピックに向かって進むことができているのだ。

 ただ、まだまだ、かすかにも見えていない“世界で一番になったときの景色”。
 これを確実に、現実的なものにするためには、助走から踏み切り、空中動作、着地に至るまで、自分が妥協せず、どこまで追求できるかがポイントだと思っている。

『人類史上初の9m』
「まだ、8m70、80さえ跳んでいない日本人、アジア人が?」という疑問の声を投げかける人もいるかもしれない。
 たしかに、荒唐無稽な“夢”に思われるかもしれない。
 ただ、競技人生をかけ、僕はこの“夢”を叶えてみせる。

写真:長田洋平/アフロスポーツ

 僕の座右の銘は、高校時代から今も変わらず『有言実行』。
 高校3年のインターハイ直前に、友だちに「勝ってこいよ!」と言われ、「優勝してくるわ!」と何気なく返答した僕は、本当に優勝し友だちを驚かせたことがある。そのときから、僕の座右の銘は『有言実行』。言葉に出すことによって自分にプレッシャーをかけ、発した言葉の通りに自分を作り上げていく。夢の実現には欠かせない工程だと思っている。

 僕が人類史上初の9mを跳ぶとき、それは夢が叶うと同時に、小学生のころに抱いた「世界で一番になったときの景色」の答えが見つけられる瞬間だ。

 僕は、自分の夢を言葉で表現し、その通りの自分を作り上げていく。
『橋岡優輝が人類史上初の9m! 世界記録を更新!』

 そのとき、僕はこう言うだろう。
「やっぱり大記録が更新されるのは、30~40年の周期だったね」と。

「8m70、80さえ跳んでいない日本人、アジア人が?」と言っていた人には、僕はこのように話しかけたい。
「あんなこと言っていたけど……。ねっ、跳べたでしょ! 一緒に喜んでよ!」って。

 人類史上初の9mという世界で一番の“景色”が、どんな景色だったのかをみんなに伝えたいんだ。

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