Thank you, New York

写真:アフロ

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「ヤンキースでワールドチャンピオンになりたい」

 この夢を実現するために、日本を飛び出したのが2003年。あれから18年が経ち、気づけばアメリカで生活した月日が、生まれ育った故郷・石川で過ごした歳月を超えようとしています。

 夢を現実にすると決意したのは、1999年の秋です。

 その年、所属していた読売巨人軍がリーグ優勝を逃し、少し早いシーズンオフに入ったので、ヤンキースのプレーオフをニューヨークで観戦したいと思い、すぐにニューヨークに向かいました。リーグチャンピオンがかかったヤンキースとレッドソックスの試合を観戦する機会を得ることができました。当時のヤンキースはまさに黄金時代。ピンストライプのユニフォームをまとった名選手たち、スタジアムの雰囲気、そして肌で感じる緊張感。すべてに心が動かされ、スタンドで観戦していた私の胸の高まりは止まりませんでした。

「ここでやりたい。ヤンキースがワールドチャンピオンになる力になりたい」

 読売巨人軍で4番を任され、当時、自分自身が置かれていた立場はじゅうぶんに理解していました。そしてファンの期待も。そのような中で自分の気持ちを優先して、晴れやかな気持ちで「FA権を取得したのでメジャーリーグに行きます」とは、伝えることはできないと感じていました。ただ、人生の中でどちらかしか選ぶことのできない選択が迫られているなか、「夢を夢のままで終わらせたくない」という素直な気持ちをどうしても抑えることはできなかったのです。

Philadelphia Phillies v New York Yankees, Game 6 | Jim McIsaac/Getty Images

 現役を引退したいまも、夢を持ち最初に辿り着いた街“ニューヨーク”で私は暮らしています。

「なぜいまもニューヨークで生活をしているのですか」と聞かれることがあります。正直、明確な理由はありません。ただ、1つだけ言えることは、私にとってニューヨークという街は“心地が良い”ということです。

“心地良さ”は、ニューヨークの人々が創り出してくれる“絶妙な距離感”に理由があるように感じます

松井秀喜

 7年間ヤンキースでプレーし、その後エンゼルス、アスレチックス、レイズと複数の球団を経験し、それぞれの土地で生活もしてきました。アナハイムもサンフランシスコも本当に素晴らしい街でした。タンパもヤンキースのキャンプ地だったということもあり、非常に馴染みのある場所でとても過ごしやすい街でした。アメリカでの生活が長くなればなるほどいろいろな街を知る機会が増えましたが、私にとってニューヨークが特別ということは他の街で暮らしてもずっと変わりませんでしたし、今現在も変わっていません。「さあ、いくぞ」と乗り込む気持ちで日本を飛び出し、最初に降り立った街だからこそ思い入れがより強いというのもあるかもしれませんが、それを抜きにしても、私にとってニューヨークはやはり特別な街なのです。

Philadelphia Phillies v New York Yankees, Game 6 | Al Bello/Getty Images

 ニューヨークの“心地良さ”をひと言で説明するのは容易ではありません。

 しかし、この“心地良さ”には街の雰囲気だけでなく、ニューヨークの人々が創り出してくれる“絶妙な距離感”に理由があるように感じます。

 “絶妙な距離感”

 それを感じる1つが、ニューヨークでは“普通に街を歩ける”というところです。

 日本にいたとき、特に現役時代は静かに街を歩くことがなかなかできなかったです。というより私が意識過剰になっていたのかもしれませんが、どこにいても人目が気になっていました。その点、ニューヨークでは私のことを知らない人がたくさんいるということもありますが、街を歩いていても、急に声をかけられたり写真撮影を求められたりすることがほとんどなく、静かに暮らすことができています。稀に声をかけられる際も「ヒデキ、いっぱい良い思い出ありがとうね!」など非常に心地が良い言葉をかけてくれますし、それ以上に距離を詰められる感じがありません。

 レストランで食事をするときも同じです。普段は、他のお客さんと同じ空間で食事をしますが、気になることがほとんどありませんので「誰も自分のことは知らないね」といつも思っていました。実はそういうことだけではなく、単にプライベートを尊重してくれていたとわかったエピソードがあります。

 それは2009年にワールドシリーズを制覇した後、いつも利用しているレストランを訪れたときでした。

 普段は誰にも声をかけられず、振り向きもされない静かなレストランですが、その日は違いました。入店するなり、店の中にいたお客さんみんなが立ち上がり、拍手をして私を迎えてくれたのです。いつもと違う店内の様子に私は驚くと同時に、「私のこと知っているの? 気づいていたの?」と思った記憶がとても印象深く残っています。

 その店に限らず、ニューヨークでは一人ひとりのプライベートの時間をお互いに尊重し踏み込み過ぎないというようなマナーの良さを感じることがとても多く、私がニューヨークという街を心地良く感じている理由の1つなのだと思います。

 そして、私がニューヨークの人々に抱く“絶妙な距離感”の良さは他にもありました。

 普段は素っ気ない感じでも、人が困っている時には声をかけ、手を差し伸べてくれる人が多いように感じます。

 ニューヨークに住み始めたころから、たくさんの人たちに助けてもらってきましたが、そのなかでも日本では少し考えられないエピソードがあります。

 ワールドシリーズ第2戦の当日。

 じゅうぶんに時間に余裕をもって車で家を出たにもかかわらず、事故か何かの原因で起こった予期せぬ交通渋滞に私は巻き込まれました。ヤンキースタジアム近くのマコームズ・ダム橋で起きた大渋滞でした。どれだけ待っても車が一切進みません。このままだと大幅な遅刻で試合前の練習ができないくらいの状況でした。

 そんなとき、たまたまそこにいつもヤンキーススタジアムを警備してくれている警察官がポリスバイクで通りかかり、私に気づいてくれました。彼が「オー、ヒデキじゃないか。大丈夫か? 俺の後ろをついてきな」と言って、私の車を先導してくれたのです。

 彼が気づいて声をかけてくれなかったら、大事な試合に一切練習せずに臨む羽目になっていたと思います。このエピソードはほんの一例に過ぎませんが、ニューヨークは“絶妙な距離感”、ここでは“絶妙なタイミング”でもありますが、困っている人に温かく手を差し伸べてくれる人も多い街だと思います。

Baltimore Orioles v New York Yankees | Jim McIsaac/Getty Images

 2012年、タンパベイ・レイズに移籍が決まる前もそうでした。

 当時の私は所属する球団が決まらず、練習する場所すらなく困っていました。そんな窮地を救ってくれたのもニューヨークの人でした。

 私がヤンキースにいたときにチームのリハビリを担当してくれていたコロンビア大学の人が、「もしよかったら練習で使ってみたら」と、ニューヨークにある練習施設を提供してくれたのです。球団が決まっていないことに暗い気持ちになることはなかったですが、練習場所がないことには何も始まりません。非常に困っていた私にとって、大変ありがたい言葉でした。

 ワールドシリーズからわずか2年で、練習場所にすら困るような経験をするとは正直思ってもみなかったですが、それでも、私にとっては非常に貴重な経験をさせてもらった期間でもありました。

 それまで恵まれすぎていた野球人生の中で、初めてどこの球団とも契約できないまま練習場所にも困っている状況で、再びニューヨークに助けられ、一時的ではありますがニューヨークに戻って練習するという経験ができたのです。この経験がなかったら、所属が決まらない選手がどのような気持ちで日々を過ごしているのかを推し量ることもできなかったでしょうし、間違いなくニューヨークへの思い入れがより強くなった瞬間でした。

私は、ヤンキースが好きだったし、ピンストライプを着ていることが自分にとっては何より幸せでした

松井秀喜

 私にとって、ヤンキースで過ごした最初の7年間も大変素晴らしかったですが、その後、離れたからこそ、ニューヨーク、そしてヤンキースの素晴らしさを肌で感じることが多くありました。

 その中でも、“心地良さ”を超え、私に“感動”を与えてくれたニューヨーク、そしてヤンキースでの出来事を最後に伝えたいと思います。

 私は、長年の野球人生のなかで泣いたことが一度たりともありません。そんな私が、グラウンドで涙が出そうになったのは、“あのとき、あの1回だけ”でした。

 それは、ヤンキースが9年ぶりにワールドチャンピオンに輝いた翌年、開幕戦で催されたチャンピオンリング・セレモニーでの出来事です。

 試合前から超満員のファンに埋め尽くされたヤンキースタジアム。そのなかで、盛大にセレモニーが始まりました。

 ヨギ・ベラ、ホワイティ・フォードといった伝説のOBが招かれた舞台で、ワールドチャンピオンに貢献したヤンキースの名選手たちにチャンピオンリングが次々と手渡されていきました。そして、一塁側ベンチから最後に出てきたキャプテンのデレク・ジーターがリングを受け取ると、引き続き選手を呼び込むアナウンスがひと際大きな声で流れました。

「ワールドシリーズMVP、ナンバー55、ヒデキ・マツイ!!」

 そう、私は三塁側、対戦相手のエンゼルスの選手として、このセレモニーに参加していたのです。

 ワールドチャンピオンになった2009年のシーズンオフ。ヤンキースと私は残留交渉を行わないまま、エンゼルスへ移籍することになりました。

 私はヤンキースが大好きだったし、ピンストライプを着ていることが自分にとっては何よりの幸せでした。だから、素直な気持ちは「このままヤンキースの一員としてプレーをしたい」。ただそれだけだったのです。

 しかし、現実問題としてヤンキースが自分を必要とするかは別問題です。最終的にチームが下した判断は、来季チーム構想の中で私を戦力として考えていないというものでした。

当時は、その判断に対していろいろな感情もありました。もうヤンキースでプレーできなくなることに、寂しさもありましたし、悔しさもありました。ただ、戻ることができない現実を受け止め、新たな一歩を踏み出す決断をしなくてはいけないと最終的には考えました。

 そう自分の中でしっかり気持ちを切り替え、エンゼルスの一員として迎えたシーズン開幕。そんななかで開催されたセレモニーだったのです。

抑えてきた感情が一気に溢れ、初めてグラウンドで涙が出そうになった瞬間でした

松井秀喜

 セレモニーが始まる前は、「自分はエンゼルスの選手としていくんだ。もうヤンキースの選手ではないんだ」と割り切っていくと心に決めていました。その後すぐに試合も控えていましたので、「たまたま対戦相手のエンゼルスの選手だったから、セレモニーに参加するだけだ」と、どこか自分の気持ちを抑え、淡々とした感情で出番を待っていました。

 そして、自分の名前が最後に呼ばれました。チャンピオンリングを受け取りにいくため、三塁側ベンチからグラウンドへ飛び出した、“そのとき”でした。

 ヤンキースファンで埋め尽くされたスタンドから、割れんばかりの歓声と大きな拍手、スタンディング・オベーションが沸き起こったのです。

 そのとき、抑えてきた感情が一気に溢れ、初めてグラウンドで涙が出そうになった瞬間でした。

 さらに、ジラルディ監督からチャンピオンリングを受け取った直後に、とびきりのサプライズが待っていました。一二塁間に整然と並んでいたヤンキースの選手たちが一斉に私を取り囲むように駆け寄ってきてくれたのです。まるでサヨナラ本塁打を決めた瞬間のようでした。アレックス・ロドリゲス、マリアノ・リべラ、ロビンソン・カノ……そして締め括りに、ジーターが祝福し再会を喜んでくれました。ピンストライプのユニフォームに、私だけただひとり異なる赤いユニフォーム。そのひとりのためにかつてのチームメイトが考えてくれた粋なサプライズでした。

  ワールドチャンピオンになるために、ヤンキースで7年間一緒に戦い続けた私に、ヤンキース、そしてニューヨークが記憶に残る最高のプレゼントをしてくれたのです。

Los Angeles Angels of Anaheim v New York Yankees | Chris Trotman/Getty Images

 実はこの話には続きがあります。

 エンゼルスのベンチに戻ると、チームメイトが「見せて、見せて」と寄ってきたので、チャンピオンリングを渡して見せました。すると、なぜかみんなが怪訝そうな顔をしていたのです。思っていたよりしょぼいな、という感じで見ていました。私も本物を見たのは初めてでしたし、そういうものなのだと全く疑いもしなかったです。

 その後、スタメンの選手が紹介され私がグラウンドへ出ていくと、ジラルディ監督が私の元に寄ってきて

「こっちが本物だよ」

 そのやりとりを近くで見ていたエンゼルスのソーシア監督が爆笑していたのを、いまでも鮮明に覚えています。

 セレモニーで感動の渦のなか受け取ったチャンピオンリングは、実はその日球場に足を運んだファンに配られるレプリカだったのです。そう、ジーターがイタズラで本物とすり替えていたのです。

 受け取ったときは、相当気持ちが昂っていたのでしょう。いまになってみると、なぜ気づかなかったんだろう? と思うくらいしょぼいです(笑)。

 そんなイタズラも、サービス精神旺盛なジーターらしいし、ヤンキースらしい。

 こういうチームの雰囲気が私も大好きでしたし、今でもヤンキースとヤンキースファンのことは大好きです。

 2009年にワールドチャンピオンになった直後に、ヤンキースを離れなければならなかったときはいろいろな複雑な思いもありましたが、ファンの方や近くにいた選手、チームの人たちとも、一番いい形でいい思い出とともに離れられたと感じますし、結果的にはよかったんじゃないかな、といまでは思います。

 結局その日の試合で、私は1本もヒットを打てませんでした。感動的なサプライズも、アメリカらしいジョークも、実は私の感情を揺さぶるヤンキースの作戦だったんじゃないかな、と疑っています(笑)。

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