アンダーレーテッド―過小評価

Andrew Synowiez/USA TODAY Sports

To Read in English (Published Jan 9, 2019), please click here.

 ステフ・カリーはAAU(AmateurAthleticUnion=全米体育協会)のチームに所属している選手のようにみえる。[]

 爆笑。僕がチャンプス・スポーツの店員にステフ・カリーのTシャツがあるか確認したら、こう言われた。「申し訳ありませんが、下手な選手の商品は扱っておりません」だって。[]

 2001年の夏、13歳の僕はテネシー州で行われたAAU主催の全米大会に出場した。

 当時の身長は5フィート5インチ(約165センチ)か、せいぜい5フィート6(約167.4センチ)。体重はずぶ濡れの状態でも100ポンド(約45.3キロ)ほどだ。

 僕たちは惨敗した。しかも、僕のプレーはボロボロだった。

 その大会は、待ちに待った、自分の成長を試す機会だった。それなのに、結果は散々だった。全く、歯が立たなかった。まさに僕を目覚めさせるモーニングコールのようなものだった。自分にはじゅうぶんな力が備わっていないという、たった1つの教訓を得た決定的瞬間だった。

 泊まっていたホテルはホリデイ・イン・エクスプレスだったかな? 部屋に戻った僕はただムスッとしていたことを覚えている。腹を立てたり、負けたことにムカついたりするような感じではなかった。ただ……落ち込んでいた。自分の殻に閉じこもっていた。気分は……、たぶんだけど、この大きなトーナメントによって、バスケットボールの熾烈な競争、例えるなら生きるか死ぬかの一本道のようなものであるということを感じていたと思う。僕の父はその道を通ってNBAにたどり着いた。その息子はどうなった? その子は同じ13歳を相手に目立った活躍すらできなかった。

 だから、いま言ったように、僕は熱くはなっていなかった。もっと言えば、僕はこんな感じだった。じゃあわかったよ、これでおしまいだね? 自分はそれほどいい選手ではないってことだよね? これって……ゲームオーバーってこと?

 あの瞬間、僕は終わったも同然だった。

 しかし同時に、「僕の人生でもっとも大切だった」と言ってもいい話を、ホリデイ・インの一室で両親の前に座り聞いた瞬間でもあった。

 そのときの宝石のような言葉をみんなのためにここに再現したいと思う。基本的に主導権を握って話していたのは母だった。

 ステフ、このことは一度しか言わないわよ。これからのあなたのバスケットボールの夢は……なるようにしかならないの。でも、母さんがここで伝えたいのは、あなたのこれからの物語はあなた以外、誰にも描くことができないということなの。スカウトでもない。トーナメントでもない。あなたよりもうまくできる、あれができるという子たちでもないの。そして、カリーという苗字でもないのよ。あなたの物語の著者になれる人やものはどこにも存在しないの。できるのはあなただけ。だから、そのことを真剣に考えなさい。時間をかけてじっくりと。これからは自分が描きたいと思うことを描くのよ。あなたの物語はあなただけのものだということを忘れないで。

Twitter/NC AAU

 どういうわけか……あのときの言葉がずっと僕の頭から離れない。

 成長期のころもそうだったし、ここまでのバスケットボール人生であのときのことを忘れたことはない。僕がこれまで聞いてきた中で最高のアドバイスだった。そして、その言葉が必要なとき、たとえば、誰かに鼻であしらわれたり、過小評価されたり、思いっきり悪口を言われたりしたとき、僕はいつも母の言葉を思い出してきたし、あの言葉に支えられてきたんだ。

 僕は自分にこう言い聞かせてきた。この物語は僕以外に描くことはできないんだ、と。これは他人の物語ではない、僕のものなんだ、と。



 ESPN(米スポーツ専門局)では、ニックスがドラフトでステフ・カリーを指名すると予想している。[]

 ステフ・カリーは絶対にタイトルを獲れない。[]

 待って。落ち着いて聞いて。みんなはこの話が、励まされた子どもが一瞬にしてすべてを好転させていくという夢物語だとは思わないよね? なぜなら……。

 それは本当にそんなに簡単にうまくいくような話じゃないからね。

 残念だけど、僕はまだ周りを騒がせるほど注目される選手ではなかった。

 覚えている課題の1つとして、痩せていたというのがあった。ぶっちゃけて言うと、僕はガリガリだった。もはや生きていける体重ではなかったかもしれない。当時の僕は、いとこのウィルと近所の小さなショッピングモールにあるGNCの店で棚にならんだ妙薬の一種を眺めていた。2人ともお金はなかったから実際には買えなかったけど、僕たちはただ試そうとはしたんじゃなかったかな……どうしたかっていうと、自分でもよく覚えていないけど、妙薬の香りがするGNCの空気を吸い込んだんじゃなかったかな。20分ほどその場にいて、心を落ち着かせてミステリーパウダーが入った大きな袋をじっと見て、これで、ウェイボリック(プロテインパウダー)が体内に取り込まれたはずだ、みたいな。

 そして、ある日、それは起こった。――まさに青天の霹靂だった。

 僕たちは急成長した。

 いやいや、冗談だ。僕たちが急激に大きくなることはなかった。正直、背がちょっと伸びたことを除けば、高校時代の僕のスカウティングの評価は、小さくて痩せていて、シュートが多少うまい、というのがほとんどだった。

 それがどういう結末を迎えるかは想像できるはずだ。



 ステフ・カリーは優れたアスリートではない。彼は特別に速いわけではない。ボールハンドリングやパスが特別にうまいというわけでもない。[]

 ステフ・カリーの足首は釣り具の蚊針みたいに細い。[]

 僕がジュニア(日本の高校2年生)のとき、興味をもってくれていたバージニア工科大が、初めて視察に来た日のことを覚えている。

 もしくは、こう言うべきだ。バージニア工科大がある程度の興味を示した、と。

 あなたは眉をひそめるかもしれないけど、彼らが僕を必要としているのかもしれない、という考えはまったくばかげているわけでもなかったんだ。僕の父さんはその大学に通っていて……僕もそこへ行きたいという話を何度かしたし……、それに最後には何番にするかさえ考え始めていたんだ。

Courtesy of Stephen Curry

 そして、ある日、その大学のアシスタントコーチが僕たちの高校を訪問すると申し出たとき、僕に会いに?? えーっと、簡単に言えば……僕は本当に勘違いしていた。

 僕は彼らがオファーを出すだろうと本気で考え始めていた。

 僕はランチ・ミーティングを提案した。それってオシャレじゃない? とてもプロフェッショナルだし。僕が全校生徒360人の小さな学校に通う16歳だということを除けばね。そして、“ランチ”とは文字通り“学校の食堂”だ。要するに、全校生徒の前でのミーティングってことは、それほどオシャレでもないかもね。

 しかし、重要な日がやってきて、いよいよランチの時間だ。大学のアシスタントコーチが入ってくる。彼はホーキーズ(大学のチーム名)のポロシャツを着ていた。帽子もホーキーズだ。僕たちは握手をし、席に着いた。そして、ここから本番だ。その時点で僕は本当に落ち着いていた。学校全体が僕やこのミーティングのことで大騒ぎになっているように見える。食堂にいる人たち全員が“見て見ぬふり(100%見ている)”状態だった。ビジネスの打ち合わせをしながらのランチ。僕は有頂天だ。

 そこから……僕は現実を知ることになる。

「そうだね、ということで――ステフィン、今日はありがとう。本当にいい時間だった。私たちはあなたをウォークオン(奨学生ではない一般学生として入部する選手)として迎えたいと思っています」

 結局、バージニア工科大は僕にただ会いに来ただけだった――えーっと、父さんに頼んだわけではないけども、どうやら父さんがそういうようなことをお願いしたようだった。しかし、それはこっちの言葉のほうが近かった。これが礼儀? 大学のレジェンドの息子にウォークオンの枠? 僕は自費で道を進まなければいけなかった。

 言い換えると、彼らは僕に関心はなかったんだ。



 フォーニエ(エバン・フォーニエ、フランス出身のスリーポイントシューター)はすべてのプレーでステフ・カリーを凌駕している。カリーのディフェンスは酷いし、そのことに全米中の人が気づき始めている。[]

 ステフ・カリーはNBA史上最も過大評価された選手である。[]

 僕は覚えている…デイビッドソン大での経験がいかに謙虚なものであったかを。

 まず、楽しかった。――なぜならそこでの経験はいまでも本当にいいものだからだ。いまこれを読んでいる読者のみんなはデイビッドソン大へ行ってみるといい。素晴らしいバスケットボールのプログラムがある学校なんだ。しかし、当時を振り返ったときに一番に思い出すのは、僕たちは大学バスケでトップクラスではなかったというメッセージがどれほど明瞭だったかということだ。残念だけど、言うなれば、僕たちは学生アスリートという感じだった。フォントのサイズで言えば、学生100、アスリート12だ。僕たちは「クールで、バスケもすべてをこなし、……でも哲学の論文をやらなくてはいけない」アスリートだった。室内練習場はバレーボール部と共有していた。

 それから、ここでは支給される用具には規定があった。1年につき2足のスニーカーと2、3枚のシャツ、おまけに足首用の1組。うそじゃない、たったそれだけだったと思う。デイビットソン大で新しいシューズが届いた日の練習は、嬉しかった思い出の1つだ。1年に二度もクリスマスが来たような気分だった。だけど、足首用のサポーターだけは……お察しの通り、って感じだったね。それに関して言ってみれば――真っ白なサポーターでシーズンを迎えたのに、シーズンが終わるころにはまったく別の色に変わっている。まあ、汚れて色が変わっただけなんだけどね。

 でも、そこには愛しかないけどね。デイビットソン大に通ってバスケをして、あのレベルとはいえ試合に勝って……、ある種、それで自分の存在意義を感じていた。築き上げるとはどういうことなのかを理解した。まるで、本当に何かを築いていくように。誰にも奪い去ることのできないものを。自分だけにしか手にできない大切なものを。

 そして、興味深い話を1つ――ワイルドキャッツ(バスケットボールの名門ケンタッキー大のチーム名)に入っていたら、一番の思い出は何だったのだろう? NCAAトーナメントのベスト16でウィスコンシン大に勝ったこととか、ベスト8のカンザス大との試合とか、ってことになるのは間違いないと思う。でも、僕の場合は実際にはそのどちらもない。

 ここで話すにはぴったりの思い出話が1つある。

Gregory Shamus/Getty Images

 あれはカンザス大との決戦前夜、僕が練習後の夕食から戻ってきたときだった。廊下を歩いていたまさにそのとき、これまで経験したことのない奇妙な出来事に遭遇したんだ。廊下の角を曲がると……、チームの半分ほどの選手がそこにいた。彼らはウォームアップジャージを着て、分厚い2007年のラップトップコンピュータをもって地べたに座り込んでいたんだ。まるで彼らは、ジョージタウン大やウィスコンシン大との試合を振り返って、お互いを鼓舞しているかのようだった。床に座り、ひたすらキーボードを叩いていた。

 それを見た僕は「へぇ、お前ら何やってんの?」って言った。

 そこにいた全員が口をそろえてこう言ったんだ。「中間テストだよ」

 いや、マジで。本当なんだ。ベスト8の試合まで12時間。僕たちの人生最大の試合の12時間前に男たちは廊下に座り込んでテスト用紙に答えを書き込んでいたんだ。本気でワードドキュメントと格闘していた。ホント、僕は心からデイビットソン大を愛しているよ。



 ついでに言うと、ステフ・カリーはプレーにひどくムラがある。[]

 うーん、あと4年もステフに関わる運命……これは神さまがビールをお作りになった理由だ。[]

 僕は覚えている。有力なNBAドラフト解説者だったダグ・ゴットリーブが、僕より評価が高かった同期のポイントガード6人について話していたことを。スポーツセンター(米スポーツ専門局ESPNのニュース番組)がツイッターで彼のコメントを伝えていた。確か2、3年後だったか、僕がゴールデンステートで成功を収めるようになったときに、当時のツイートを誰かが見つけたんじゃなかったかな? そのツイートはいまだに拡散され続けているよ。

 The Player's Tribuneの関係者へ。僕は怒らないので、当時のツイートのスクリーンショットをここで掲載しても構わないよ。

以下twitter画像翻訳

スポーツセンター ステフィン・カリーがNBAドラフト志望を申請した。

ダグ・ゴットリーブのコメント

「彼はリッキー・ルビオほど良くない。身体能力はブランドン・ジェニングス、ジョニー・フリン、パティ・ミルズ、ジェフ・ティーグのほうが上」

2009年4月23日、午前11時

 もちろん、僕はいまも現役でプレーしているし、いまとなっては笑い話だ。でも、あの当時は? いやあ……どれほどムカついたか、言葉で表現するのは難しい。

 こういった他人の評価、スカウティングレポートなどに共通していたのは、僕にはやれないだろうというものばかりだった。「スケールが小さい」、「フィニッシャーではない」、「極めて能力が劣っている」。僕はいまもその一言一句を思い出すことができる。裏を返せば、それほどとんでもないことが起きたということだ。自分のやるべきことを続けてきた結果であり、こういった珍しいタイプの選手がNBAにやってきて、自分のやれることを見せた結果だ。いわゆるバスケットの専門家と呼ばれる人たちは、選手の欠点に焦点を当てるだけの解説をするものさ。

 「できる」という肯定的な部分を見つけ出そうとするのではなく。



 ステフ・カリー? 彼はチームの顔になるような選手ではない。[]

 チャールズ・バークレーのステフ・カリーに関する談話「この子にはだれもディフェンスとリバウンドを教えてこなかった」[]

 ずいぶん前に、僕はあることを思いついた。

「アンダーレーテッド・ツアー」とでも名付けよう。――それは基本的にはこんな感じだ。みんなはバスケットボール・キャンプをすべての基準にしているよね? それは国内だけでなく、世界中のいたるところで開催されている。これはすごいことだ。このキャンプを通して、たくさんのNBA選手たちが名を上げてきたんだ。だからキャンプは続けるべきだよ! でも、僕には思うところがある。よく調べてみればわかるよ。そのキャンプに参加している子どもたちの顔ぶれがいつもいつも同じだということが。そして、どのスカウトも知っているような、4つ星か5つ星の即戦力の子どもたちだけが、次の街へ、次のキャンプへと渡っていける。

 次に考えなければいけないのは、周知のとおり、そのような将来有望な子どもたちの評価が落ちることがないということだ。だけどそれ以外の子どもたちはどうだろうか? 些細な理由で、ひとつ欠点が露呈しただけで、2つ星、3つ星の烙印を押された子どもたちは? 僕はその子たちがすべてのキャンプへ参加できる環境が必要だと言っているのではない(正直、誰もそんなことは言わないけどね)。だけど、もしそういう仕組みになったら、そういう子たちはどのキャンプからも招待されなくなってしまうんじゃないかな?? それは困ったことだ。バスケを愛している子どもたちが、他人によって、制限された環境に置かれてしまっている。子どもたちが自分の限界に挑む以前に、彼らの限界が決められてしまっているという状況だ。

Noah Graham/NBAE/Getty Images

 そうしたことが、アンダーレーテッド・ツアーを企画した背景にある。大学の奨学金を得られなかった星3つ以下の高校生のために、楽天と連携してバスケットボール・キャンプを作る。バスケを愛し、欠点さえも隠れた武器になるかもしれないと、スカウトに見せつけてやる機会を求めている子どもたちのためのキャンプだ。

 そして、何よりも、

 世界中の子どもたちには、もう二度とこんなストーリーを書かせたくない、誰かさんのためのキャンプだ。



 ステフができるポジションってあるの? シューティングガードにしては小さすぎるし、ポイントガードをするにはそれほどボールハンドリングがいいわけじゃない。僕は彼をレックス・チャップマンみたいなスポット・シューターとして見ています。[]

 ステフ・カリーを最大限に活用するのはごめんだ。[]

 僕は気づいたんだ。

 人々はこのように思いこんでいるのではないだろうか。君はある程度成功を収め始めたことで“過小評価されていたときの気持ち”はどこかへ消えていったのではないかと。そして究極の目標に達成したのだから……もう永遠に思い出すこともないだろうと。

 でも、それは僕の経験から消えるのだろうか? 

 正直、頭から消えることなんて、絶対にないんだよ。

 僕の頭の中では、それは小さくなることすらなかった。

 ドラフトで僕の前に他の選手を指名した5チームが後悔すればいいと思っていた2010年もそうだし、トレード要員以上の価値がある選手だとアピールに必死だった2011年だってそう。足首のけがに苦しみ、敗戦続きだった2012年、多くの人がその価値はないと思っていた契約延長に見合うプレーをしようとした2013年、“カリーのプレースタイルはプレーオフでは通用しない”と考えていた専門家が間違っていると証明してやろうと思っていた。2014年、そして、同じく“カリーのプレースタイルはファイナルでは通用しない”と考えていた専門家にも間違っていると証明してやろうと思っていた2015年、ブルズのもつシーズン72勝のリーグ記録を塗り替えようとした2016年、ウォリアーズがファイナルで3勝1敗から惨敗するはずはないとした2017年、けが人が相次いだチーム事情や鬼強かったロケッツをはじめ、僕たちの行く手を阻むものに打ち勝とうとした2018年もそうだった。そして2019年、今年もそうだ。人々が忘れ去った僕たちの過去の偉業を掘り起こす努力をしているときも、あのときの気持ちが小さくなることはなかった。

 反骨心は常に僕の中にあった。

 言うなれば、その気持ちが僕を形づくっている。

Kyle Terada/USA TODAY Sports

 これこそが、この17年間で自分自身を理解できるようになってきた大きな要因だと思う。“過小評価”は、人になにかしらの感情を抱かせるきっかけになるかもしれない。でも、もしその活用法を知っていたら?

 逆にあなたは世界中の人々の感情を動かせるようになる。

 そのことについて考えれば考えるほど、僕が一番伝えたいことが明確になってくる。だから僕はアンダーレーテッド・ツアーを立ち上げた。参加できるキャンプが1つあれば……それは素晴らしい。でも、そこに招待されなかった人は誰だった?

 僕だ。

 そして、僕は伝えたい。僕はあの子たちの中にある大切なものに本当に気づき始めようとしている。

 子どもを侮ってはいけない。

 子どもは驚くべき可能性を秘めている。

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