父としての日々

HARRY HOW/GETTY IMAGES

To read in English (Published Jun 13, 2019), please click here.

初めてスーパーに買い物に行った時、とても良い気分がした。

ふたりの小さな子どもの父として、僕は素敵な日々を過ごしていた──数日は大泣きされるようなこともなく、何度も優しくハグをして、僕のくだらないジョークが大きな笑いを起こしていたんだ。僕にはなんでもできそうな気がしていたよ。まるで、スーパーダッドみたいにね。

だからその朝に、4歳の娘キャリと2歳の弟チャーリーを連れて、スーパーマーケットに買い物に行くことにしたんだ。

妻のエレンを抜きにして。

つまり、ソロ、僕ひとりで。

僕と子どもたちだけだ。

その時、僕はこんな風に思っていたよ。よし、何も問題はないだろう。みんな毎日やっていることじゃないか。自分にもできるはずさ。

そしてクルマで店へ行き、子どもたちを降ろし、チャーリーをショッピングカートに乗せ、最初の通路に入ったばかりのところで商品棚を見ようとしたら、すごい音が聞こえてきた。

ガッシャーン!!!

またすぐに……

ガッシャーン!! ガッシャーン!! ガッシャーン!! ガッシャーン!!!

それまでに聞いたことないほど大きな音だった──うるさすぎて飛び上がってしまったくらいさ。同時に、自分の脚に何かがかかったように感じた。当初はそれが何かわからなかったけれども。

ふたりの小さな子どもの父として、僕は素敵な日々を過ごしていた──数日は大泣きされるようなこともなく。

クレイトン・カーショー

ショッピングカートを振り返ると、チャーリーがガラス瓶を6つも7つも棚から落として、スーパーの床をめちゃくちゃに汚していた。この子は自分の手で、棚のガラス瓶をなぎ倒していたんだ。しかも0.5秒くらいのスピードで。

さらに悪いことに、それらのガラス瓶にはべっとりしたシロップと桃が入っていて、時々、桃がこぼれ出てきた。よりによってチャーリーは、考えうるなかで一番やっかいなものをぶちまけてしまったわけだ。

Kershaw Family

僕は割れたガラスを集め、桃のシロップが床に広がらないように足で堰き止め、そのほかにも色々と意味のないことをやっていたところ、突然、気がついた。

キャリ。

一体、キャリはどこにいるんだ?

おそらく、チャーリーが色々なものを床に落としまくっている時に、姉のキャリはどこかへ行ってしまったのだろう。でも自分には、彼女がどこにいるのかわからなかった。だから息子と一緒に店の中を走りながらキャリを探した。桃のベトベトした汁をスニーカーからこぼしながら、信じられないくらいヘトヘトになるまで。

ちなみにその間、チャーリーはずっと大笑いしていたからね。

そして角を曲がると、キャリがいたので、彼女を抱きかかえた。その時、僕はどうすべきか迷っていた。決断しなければならなかったんだ。ここで過去を修正することもできたかもしれない。そしてみんなで協力し、僕の汚れた格好をきれいにして、気を取り直し、シリアルとミルクとパン、あるいはそこにあった商品を適当に買って……。

でも僕は、そんなふうに嘘をつくことができない。

息子と一緒に店の中を走りながらキャリを探した。桃のベトベトした汁をスニーカーからこぼしながら、信じられないくらいヘトヘトになるまで。

クレイトン・カーショー

そんなことはしなかったんだ。

その代わりにクレイトン、キャリ、チャーリーのカーショー一家は、すぐにスーパーマーケットを後にし、家に帰った……何も買わずに。

文字通り、荷物をまとめて、負けを認め、三人で家路についたんだ。

それはなんていうか……“スーパーダッドのタフな一日”ってかんじだったね。



スーパーマーケットでヘマをした後、僕は少しの間、自分を厳しく咎めていた。

そして、妻のエレンのことをもっと尊敬するようになった。彼女は子どもたちとスーパーに買い物に行っても、問題なくうまくやる。間違いなく、僕にはまだ準備ができていなかった。まだまだそんなレベルではなかった、ということだね。

でも今になって振り返ってみると、当時の自分が考えていたような完璧な父のエキスパートになんて、誰もなれないとわかる。子どもたちは毎日、あらゆるものをぶつけてくる。そして次に何が起こるか、予想することはできない。わかったふりをしてはいけない。ベストを尽くし、何が起きてもそれを受け入れなければいけない。そんなかんじかな。そしてもちろん……ぶちまけられた桃を片付けないと。

ただ、父親になって4年が経ってわかったのは、自分がやりやすい環境でこそ、おそらく最高の父になれるってこと(だから、たぶんそれはスーパーマーケットではない)。自分には、家の前の庭や球場、あるいはただリビングルームにいる時だってことさ。

格好の例として、我が家で娘と遊ぶゲームがあり、僕らはそれを“エレベーター”と呼んでいる。

それはある日、僕がなんとなく思いついたものだから、取り立てて小難しいものではない。とはいえ、最後に面白い展開があるんだ。だからキャリはこれが大好きでね。ファミリールームの床の一部が熱く溶けた溶岩で覆われていると想定し、火を噴くドラゴンからお姫様を救うために、どうにかして部屋の反対側に行かなければならないふりをさせられるのはさておき、“エレベーター”はおそらく彼女が一番好きなゲームだろう。では、遊び方を説明しよう。

僕がキャリを抱き上げて、エレベーターが昇っていくように、少しずつ高くしていく──1階、2階、その次と。そして僕が娘をこれ以上高く上げられないところまでくると、最上階にいる彼女は下に降りるためにボタンを押す。

でもその戻りのエレベーターでは、あるところで──いつになるかは誰にもわからない──、何か問題が起きたことを僕がアナウンスする。

「オー、ノー!!!」と僕は叫ぶ。「エレベーターが突然、何らかの理由によって故障してしまいました」

すでに伝えたように、僕がまだほとんど何もしていないこの時点で、娘は爆笑している。構わずに僕は彼女を振り回し、まるで壊れたエレベーターのなかにいるように、あちこちに揺らすんだ。

なんとか彼女が安全にちゃんと1階にたどり着くと、その1、2秒後には、きまってこう言われる……。

「もう1回、もう1回、もう1回やってってば!!! お願い、いいでしょ?」

するとエレベーターはまた昇り出す。今のところ、これより面白い遊びはないね。

Orlando Ramirez/USA TODAY Sports

チャーリーもエレベーターが好きだけど、この子は外でキャッチボールをするほうがいいみたいだ。息子は今、2歳半で、やんちゃな子だ。彼はモンスターだよ。そして彼にとって、世の中で野球よりも好きなものはない。

僕が仕向けたことは一度もない。誓うよ。息子は自分から野球を好きになっていったんだ。そして今では、すごいものだよ。バッティングも、ピッチングも、ベースランニングも、どんどん上手くなっている。彼はいつも、野球がやりたいんだ。それに最近、チャーリーはなんと、『サンドロット/僕らがいた夏』まで観るようになって、これまでに観たもののなかで一番だと思っている。家の周りを走り回りながら、「ビースト! ビースト! ビースト!!!!」と叫んでいるんだ。つまり、僕が言いたいのは……

彼は2歳だけど、すでに『サンドロット/僕らがいた夏』が大好き。

チャーリーは野球選手だ。

間違いなく。

息子の最近のお気に入りは、我がドジャー・スタジアムのクラブハウスだ。

大体いつも僕が帰宅すると、チャーリーがやってきて、最高に可愛く、これ以上ないほどに興奮した様子でこう言うんだ。「選手たちを観に行ってもいい? 僕は選手たちが観たいんだ。連れて行ってくれる? いいでしょ?」と。彼はいつもドジャースのユニフォームを着たがり、クラブハウスに行って、僕のチームメイトたちに囲まれながらココアを飲むのが大好きなんだ。キャリがスタジアムに行くのが好きなのは、ファミリールームに選手の子どもたちがいるからでもあり、そこはドジャースによって完璧に運営されていて、今じゃ僕のふたりの子どもはいつも、試合に行きたいって言うくらいさ。

これ以上にワクワクすることは、僕にとってほかにないよ。

うちの娘と息子は、スタジアムに着くとこんなかわいい儀式を毎回やるんだ。クラブハウスに着くやいなや、ふたりは風船ガムとレッド・ヴァインズをひとつずつ欲しがってね。

彼らはそこで何かをする前に、必ずガムとリコリスキャンディを食べないと始まらないみたいだ。それから試合が始まるまで、走り回ったり、笑い合ったりする。

今や、彼らにとってボールパークにいるのは当たり前のことであり、それは僕を信じられないくらいハッピーにしてくれる。

チャーリーがスタジアムでベースランニングをしたり、フィールドでウィッフル・ボールを打った後にバットを投げたりするビデオを観ると、彼が野球選手の息子だとすぐにわかる。でも試合から家に帰ってきて就寝の時間が近づいてくると、キャリこそ、父親にそっくりだと、妻と僕にはわかるんだ。弟よりもね。

彼女の寝る前のルーティンは……ちょっとなんて言ったらいいかわからないよ。本当に素晴らしいんだ。なんていうか、実に先発ピッチャーっぽいんだ。

今から言うことを、キャリは毎晩、欠かすことなく、絶対にする。

1) 彼女の部屋に連れていき、寝かしつけを始める。

2) 読み聞かせの本は2冊──1冊でも3冊でもなく、絶対に2冊だ。

3) ふたつの歌を歌ってあげなければならない(曲目も大体いつも同じで、きらきら星とジーザス・ラヴズ・ミーだ)。

4) その2曲を歌い終わったら、そこから2分間、部屋にいてあげる必要がある。

5) 2分が過ぎたら、部屋を出て、廊下の明かりをつけたままにして、ベッドルームのドアも開けたままにしなければならない。

この1から5のルーティンをすっかり完璧に遂げられた時だけ、その夜はキャリのベッドルームを離れ、寝かせることができるんだ。

順番を変えようとしたり、すべてが終わる前に部屋を出ようとしたりすると、彼女はすぐにこう言う。

「ノー。私のルーティンは終わっていないでしょ。まだやってないことがあるじゃない。行かないで!」

キャリはプリンセスやピンクの花柄のガウンが何よりも好きだけど、そういったところはまさにピッチャーの娘だね。

まったくもって、カーショー家の娘だ。



父親としての日々は、僕の人生で起きたことのなかで一番素晴らしいことだ。子どもたちは、実に多くの意味で、僕の人生をより良いものにしてくれた。でもキャリとチャーリーが生まれる前は、正直に言って、どうやったらうまくいくのかわかっていなかった。

白状すると、心配していたんだ。

ベースボールはすべてを包み込む。そしてこのスポーツは、必ずしも家族のためになるものではないと思う。

僕の妻は自分が知るかぎりもっともポジティブなひとで、どんなシチュエーションにも最高の部分を見出し、こんなことを言ってくれる。「それはきっと素晴らしいものになるわ。楽しみね。みんなでうまくやりましょ。野球でもきっとうまくいくわ。本当に楽しくて仕方がなくなるんだから」

でも僕自身はすべてにおいてナーバスだった──遠征、離れ離れの日々、シーズン中の睡眠、自由な時間が制限されること……つまりほぼすべてにおいて。頭のなかでこうした色々なことを思い巡らせ、いつしか、すべてうまくいかなくなるのではないかと、心配し始めたんだ。

それから数年が経った今、エレンが完全に正しかったとわかる。

僕らはどんなことにも解決策を見出してきた。それは素晴らしいことだった。素晴らしいなんて言葉では表現できないくらいに。

実際、自分の野球のキャリアの途中にふたりの子どもを育てるようになったのは、とてつもなくポジティブなことだと、心の底から感じている。なぜなら、そのおかげで僕はすべての物事を前向きに捉えるようになれたからだ。

以前は悪い内容に終わった試合や大きく負けた後に帰宅すると、それから何時間、時には何日も、ネガティブなことを考え続けてしまったものだ。先発ピッチャーは、5試合に1度プレーすることになる。だから拙いパフォーマンスに終わったら、数日はそのことを考えてしまうもだし、時には気持ちを切り替えるのが難しくなる──少なくとも僕はずっとそうだった。悪い投球をすると、ずいぶん長い間、否応なしにそのことが頭から離れなくなっていたんだ。

でも今は、勝っても負けても、完封勝利でも早期降板でも、帰宅したらすぐに子どもたちと遊ぶ。

玄関を入ると、キャリとチャーリーがいて……彼らには僕がどんな投球をしたかなんて、知ったことではない。ふたりはただ、僕と大きくハグをして、一緒に楽しく遊びたいだけだ。そんな時に、もし僕が数時間前に起きたことについて腹を立てたりしていたら、子どもたちがかわいそうだよね。

だから僕は家に帰ると気持ちを切り替えて、ふたりと遊ぶんだ。そしてこれは僕にとっても、実に大きな意味を持っていると思う。

彼らがいなかった頃は、自分の頭のなかに空白があったから、時々、悪い出来に終わった試合について、考え混みすぎてしまっていた。ある時期には、良くなかったピッチングの後に気持ちを切り替えようとしたり、笑顔を見せたり、楽しんだりしようとすると、罪悪感を抱いたものだ。

「今は喜んでいる場合じゃないんだ。ひどい投球の後に、喜ぶことは許されない」と思っていた。でも子どもができると、そんな考え方は通じなくなる。

家に帰って自分の気分が悪いとすぐに、「いや、これじゃダメだな」と気づくことになる。

敗北に慣れるってわけではないよ。試合結果の影響が大きく変わるわけでもない。ひどい試合をした後の辛さが、なくなるわけでもない。ただ、着せ替えごっこをしたり、架空の溶岩ピットを避けたり、子どもがソファーからキャノンボールを投げないようにしたりすることで、そうしたネガティブな記憶について、あまり、あるいは長く考える必要がなくなるんだ。

もう状況が変わったからね。そして、自分のことを一番よく知っているひとたちは……父親になってから、僕の性格や態度が変わったとさえ言うと思う。

ひどいピッチングに終わると、今でも嫌な気分になる。でも、拙いパフォーマンスが周りのひとたちに影響を与えたり、愛するひととの接し方を変えたりしないように、うまくやれるようになったと実感しているよ。

そして今、子どもたちのおかげで、自分がどうあるべきか理解できていると思う。それが唯一の方法なんだ。それ以外のあり方を想像することはできない。

子どもができてから、僕の生活で変わったことはたくさんある。そして自分にそんな影響を与えてくれた彼らに、心から感謝している。

ある時、僕らの小さな子どもたちと一緒にいる時間こそ、最高の出来事だと気づいた──その時間を損なうようなことは何もしたくないし、これ以上に素晴らしく、充実したものはないと悟ったんだ。

この気持ちは、ほかの多くの父親たちもわかってくれるだろう。絶対にね。でも子どものいないひとは、完全には理解できないだろうね。

自分も、以前は全然わかっていなかった。世の親たちが「私の子どもたちが愛しくてたまらない。ほかには何もいらないくらい」とか言っても、僕はいつも「そうなんだ、素晴らしいね。でも、それって本当?」ってかんじだった。

でも自分が子どもを育てるようになってみると……。

それが本当だとわかる。

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もちろん、妻のエレンが最高のひとでなければ、僕は父親として半人前にもなれていなかっただろう。

この家族のすべてを叶えてくれる彼女はいつも、子どもたちがなるべく色んなことを経験できるように考えてくれている。

僕らが訪れるすべての都市で、エレンは子どもたちのために、さまざまなアクティビティーを見つけてくれる。「ねえ、今日はゆっくりしましょう」なんてことは絶対に言わず、「この子ども博物館に行ってみよう」とか、「動物園を見つけないと」ってかんじで。僕は彼女のそんなところが大好きなんだ。彼女が非の打ちどころのないママでいてくれて、本当に感謝している。しかもエレンは、すべてをとても簡単そうにこなしてみせるんだ。本当に尊敬しているよ。心からね。

そして、この夫婦にとって子どもたちがすべてであるという事実について、僕らはこれ以上ないほどに同じ気持ちなんだ。毎日、子どもたちが僕らの生活にもたらしてくれる喜びは、言葉では言い表せないものさ。

子どもたちと一緒に家にいて、笑い合ったり、遊んだりすると、僕の心は満たされる。時に遠征で彼らと離れなければならなくなる時は、家に帰って玄関を開け、小さな娘と息子が駆け寄ってきて僕に抱きついてくるのが待ち遠しい。最高の瞬間さ。ピュアな愛だね。

こんなことが永遠に続くとは思っていないよ──15歳の少年たちは、数日間会えなかった父親に走り寄って抱きついたりしないよね。でも今は、子どもたちが父親との再会をことのほか喜んで、ハグしてくれるのが、僕にとって本当に特別なことなんだ。これが当たり前だとは、絶対に思わないよ。

パソコンの前で泣き出してしまう前に、そろそろ終わりにしよう。あらためて、キャリとチャーリーを心から愛していると言って、この話を終わらせてほしい。彼らの父親でいること、そしてふたりが僕をパパと呼んでくれることこそ、僕の人生で一番の誇りだ。

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