すべてのベースボール ママへ

DAVID ZALUBOWSKI/AP IMAGES


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 僕は昔、野球を辞めようとしていた。この事実を知る人は多くないだろう。あまり話したことがないからね。でも本当の話だ。

 考えが甘かったのかも知れないけど、本当に辞めそうになったんだ。僕が7歳のとき。それは、子どもが時々するような悪ふざけの感じじゃなかった。冗談じゃない、本気だったんだ。 

 ロサンゼルス郊外のアゴーラというところのリトルリーグで僕はプレーをしていた。試合の半分をコーチが、残りの半分を子どもがピッチャーを務めた。そんな試合をするようになる前から、僕はティーに置いたボールを打つことが上手だった。いつもフェアゾーンに打ち返せたし、走塁も的確だったし、守備だってお手の物。僕は野球が大好きだったんだ。

 ところが、ピッチャーを相手にするようになると、事態は一変した。

ヒットが全然打てなかったんだ……いつもぶつけられていたからね

クリスチャン・イエリチ

 最初の試合から3、4試合連続で僕はデッドボールを受け続けた。コーチがピッチャーのときは、よくヒットを打つことができた。でも同年代の子どもが投げてるときはヒットが全然打てなかったんだ……いつもぶつけられていたからね。

 「大したことじゃない。7歳の子どもなんだから、速いボールじゃないだろう」と思う人もいるかもしれない。でも、その考えはまったくの的外れだ。

 言っておかなければいけないのは、まだ小さい子どもの投球でも、たとえボールが速くなくても当たれば痛いんだ。本来野球は、打者がバットにボールを当てるスポーツだ。ピッチャーが打者にボールを当てるスポーツなんかじゃない。デッドボールを何度も当てられ続けたら、嫌気がさすだろう? ぶつけられるのは楽しいことじゃない。

 ある日の試合、2個目のデッドボールを受けて一塁に歩いて行くときに僕は思った。「なんなんだ! これなら他のことをしたほうがマシだ。僕はバスケだってできるし、もう野球なんてうんざりだ」ってね。

 試合が終わるとすぐ、僕はママのもとに行って「野球はもういいよ」と言った。

 永久に。

 もう二度と野球はしないつもりだった。

Yelich Family

 ママは最初、深刻に考えていなかったんじゃないかな。帰宅するころまでには僕が感情をあらわにしたことを忘れてしまった様子だった。しかし数日後、次の試合に行くときに僕は腕組みをして、首を左右に振ったんだ。

「僕は行かないよ」とママに伝えた。「イヤだ。もういいよ」と繰り返した。

 ママが何と言おうが、どれだけ野球が楽しくなると言われようが、僕は一歩も動くつもりはなかった。「あの車に乗るもんか。テコでも動かないぞ」という覚悟だった。

 世の中の多くの親は、きっと似たような経験があるんじゃないかな。子どもに何かをさせたくても何もしてくれない。何を言っても効果がない。こういうことは、どんな親にとっても日常茶飯事なんだと思う。

 笑っちゃうのは、ママにあのころの話をするとよく覚えているんだ。ホントに細かいところまで覚えている。初めは、ママは僕に厳しく言おうとしたらしい。例えば……

あの車に乗るもんか。テコでも動かないぞ

クリスチャン・イエリチ

「あなたはこのチームの一員として今シーズンを始めたのよ。だから最後までやりなさい。球場に行くわよ」 

 僕は同じような境遇にいる子どもがよくとる行動をした。つまり、地団駄を踏んで「もう野球なんかしない」と言ったんだ。僕は折れるつもりはなかったし、ママのほうもそうだった。彼女は僕がどれだけ野球が好きかを知っていたから、決して譲らなかった。その前後のことはよく覚えていないけれど、最終的に、ママとかくれんぼをすることになったんだ。僕はユニフォームを着たものの、家のどこかに隠れようとした。うまく隠れることができたら、ママは僕を車に乗せられなくなって、僕は試合に行かなくて済む。

 家中をあちこち歩きまわって、隠れる場所を探したのをはっきり覚えている。ところが僕が隠れる場所を見つける前に、ママに見つかってしまった。

 当時を振り返って、ママはこう教えてくれた。「あのとき、わたしはできる限りのアイデアを絞っていたわ。時間までに球場につくよう、あなたをどうにか車に乗せるためにね」

 結果的に、彼女のアイデアが僕の野球人生をつなぎとめてくれることになった。

Yelich Family (2)

「今日ヒットを打ったら5ドルあげるわ」

 このひと言で、僕は車に乗った。

 いま思えば、ばかばかしい話に聞こえるかもしれない。だけどそのとき僕は7歳。無理もないと思わない? 「サワー・パッチ・キッズ」っていうグミのお菓子がたくさん買えるんだよ。もしくは、ガムが9個かな? それは子どもの僕にとって魅力的なオファーだったからね。

 ママにとってもいい“取り引き”だったんだ。ふたつの意味があったんだ。単に僕が球場に行くだけじゃ不十分だ。ヒットを打つために僕が全力プレーをすることにも効果があったんだ。

 そうこうして球場に着いた。すでに試合は始まり大人が投げるイニングは終わっていて、子どもがピッチャーになるイニングになっていた。僕に打順が回ってきた。ぶつけられたくて打席に立つわけじゃない。少々ストライクゾーンを外れていても、バットを振ってやろうと思っていた。ママとの“取り引き”を受け入れて球場に来たんだ。手ぶらで帰るわけにはいかない。そんなことになったら本当に悲惨だ。

 その初球。持てるすべての力で思い切りスイングした。すると、バットはしっかりボールをとらえた。一塁線へ痛烈な当たり……と言いたいところだけれど、実はわずか5フィートしか飛んでいなかった。

 僕は全速力で一塁に走った。一所懸命に走った。でもそこまでせず、歩いてもよかったかもしれない。小さな子どもたちの試合がどのようなものかわかるでしょ? ボールがフェアゾーンに飛んだら、だいたい一塁でセーフになれる。このときもそうだった。

 一塁ベース上で、僕は会心の笑みを浮かべ、観客席を見た。ふふふ……、

 これで5ドルだ!

 払ってもらうよ、ママ。

冗談じゃなく、あの日に野球を辞めていいと言われていたら、間違いなく野球を辞めていただろう

クリスチャン・イエリチ

 7歳にとっての5ドルといったら、それは宝くじに当たったようなものだ。この世のどんな物でも買える気分だった。けど、実際は球場の横にある売店でスナック菓子に使ってしまったけどね。

 そのときを境に、不思議とデッドボールの心配をしなくなった。あの打席でヒットを打ってから「野球に関しては何でもうまくいく」という気持ちになったんだ。

 必要だったのは、ヒット1本と5ドルだけ。

 でもこの話には、まだ続きがある。冗談じゃなく、あの日に野球を辞めていいと言われていたら、間違いなく野球を辞めてバスケットボールに転向していただろう。本当に野球が好きな子どもだったけど、もしママが僕の抗議を受け入れて「わかった。野球はもうこれまでね」と言っていたら、文字通り、僕の野球は終わっていただろう。

 あのとき、もしママが本気で僕のことを考えてくれていなかったら、野球選手として僕がここまでやってきたこと、いまやっていること、これからやっていくこと、すべてなかったはずだ。ドラフトされた日の喜びも、ナ・リーグ・チャンピオンシップ・シリーズへの奇跡的な進出も、MVPも、ママがいなければ経験できなかったんだ。

 そうなんだ、これを考えると僕は幸せな気持ちになる。

Taylor Baucom/The Players' Tribune

 ほとんどのメジャーリーガーは「もしママがいなかったら、プロ野球選手になっていなかった」と言うと思うよ。“ベースボール・ママ”は多くの愛情とサポート、そして勇気をわが子に与えてくれる。それは義務感とかじゃなく、彼女たちの純粋な愛情ゆえの行動なんだ。

 僕のママは何年もの間、車で南カリフォルニアを走り回り、僕を野球場へ連れて行ってくれた。目覚まし時計をセットして朝早く起きて、サンドイッチを用意して、長い距離を運転してくれた。週末を僕の野球のために捧げてくれたんだ。そして僕が大きくなると、アメリカ国内のいろんな大会にも連れて行ってくれた。もちろんママはいつもスタンドから観戦して、僕のプレー内容にかかわらず応援してくれた。彼女は僕がやりたいことができるよう、思いつく限りのことを何でもしてくれたんだ。アメリカ中の、いや世界中の“ベースボール・ママ”と同じように。

 さらに僕のママの場合は、日々のサポートに加え、僕が野球に対して意欲を失いかけていたときに歩み寄ってきて、僕が悔いを残すような決断をしないように助けてくれたんだ。彼女は僕がどれだけ野球を愛しているかを知っていて、野球を辞めることを許してくれなかった。僕が心の底から辞めたいと思っていても、どうしてもママは許さなかった。

 20年前のあの夏の日、ママは僕をなんとしても車に乗せようと考えてくれた。彼女は「イヤだ」という返事を受け入れるつもりはなかった。僕が生きている限り、そのことに感謝し続けるつもりだ。母の日だけでなく、毎日ね。

 ありがとう、ママ。大好きだよ。

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