元プロ野球選手がつくる小学校

Natsumi Chiba/The Players' Tribune Japan

 元プロ野球選手が、学校をつくる。
 普通に考えれば、少年野球やリトルリーグに関連した「野球の学校」だと想像されるだろう。でも、僕がつくったのは小学校だ。6年間の義務教育。子どもたちが学び、育ち、挑戦する場所。

 きっと、地元・福岡の知り合いたちは、ひっくり返って驚くだろう。
 僕だって、野球1本でやってきた自分が、まさか学校経営に携わるようになるとは考えていなかった。若い頃の自分は、1%だってそんな未来は思い描いていなかった。

 じゃあ、なんで――?

 その答えは、やっぱり野球にある。
 野球を通して培ってきたあらゆる経験が、僕を自然と教育現場に導いた。
 この4月、札幌市に念願の小学校、「田中学園立命館慶祥小学校」が開校した。僕はその理事長。いまは、この道を歩んでいくことに、とてもワクワクしている。

 2013年秋。僕はベネズエラにいた。世界で三本の指に入る犯罪の多い国と言われている。
 米大リーグ挑戦1年目のオフ期間で、セカンドとしてのプレーを鍛え直そうと、ウィンターリーグに参加するために訪れていた。

Kensuke Tanaka

 しかし、初めてその地に降り立った僕には、野球以外の記憶の方が、深く深く刻まれることになった。

 そもそも、空港内では強盗が恐くてうかつにキャリーケースを開けられない。地元民が現金ドル欲しさにやっている闇換金所がたくさんあって、街中の自動車販売所には売り物のはずの自動車がない。僕ら選手の移動には、拳銃を持った警備員が常に付き添うほどだった。

 アメリカ生活を始めた当初も文化の違いを感じることはあったが、ベネズエラで受けた衝撃はその時の比じゃなかった。
 いつどこで襲われるか分からない。モノは盗られる危険性があることが大前提。野球ボールの一つひとつには、マジックでチーム名が書き込まれていた。まるで、昔テレビで見たような、一世代前の時代に迷い込んだような感覚だった。

KensukeTanaka

「こんな国があるのか――」
 初めて、日本の環境、日本で自分たちが受けていた教育が、当たり前ではなかったことに気がついた。
 おそらくこれが、最初のきっかけ。教育への興味、そのローソクの灯がともった瞬間だったのだと思う。

野球以外の部分でも貢献したい――。そう考えていた時、子どもたちに関わることがいいなと、ふと思い至った

田中賢介

 思いが深まったのは、それから4、5年後。帰国して北海道日本ハムファイターズに復帰し、プロ野球選手としての終わりを意識し始めた頃だった。

©️H.N.F.

 毎年NPBが行っている調査によると、戦力外通告を受けた選手、現役を引退した選手の約半数は、その後もNPB関係の仕事に就く。アマチュアチームや解説といった他の野球関連の仕事を選ぶ人が2割程度で、野球以外の道に進むのは1割に過ぎないという。

 僕としては、まず、プロ野球選手としての自分を育ててくれた北海道に恩返しがしたいという思いが強かった。
 野球という軸は持ちつつ、何かもう一つできることはないか。野球以外の部分でも貢献したい――。

 そう考えていた時、子どもたちに関わることがいいなと、ふと思い至った。

 ファイターズの活動で道内各地をまわることも多かったし、様々な世代の子どもたちとふれあう機会にも恵まれてきた。

 それを踏まえて、どの世代にどう関わるのが良いのか。たくさんの人と話したり、本を読んだりしながら自分なりに考えて、「やっぱり幼少期が大事だ」と思うようになった。そこから幼少期の子供たちに、どうしたら貢献できるか考えに考えた。

 もともとはたくさんの地域をまわり情報発信とか草の根活動とかを考えていた。しかし野球選手の引退後の賞味期限は短い。2、3年は歓迎されるだろうが、5年もすれば自分を知っている子供たちはいなくなる。長いスパンで見たとき、これは本当に子供たちへの貢献になるのだろうか? そんな中、調べていくうちに、北海道には私立小学校がほとんどないということに気がついた。
 学校というハコは、大きな影響力を持つ。伝えたいことがあるなら、小学校として発信していくのが良いんじゃないか。小さくても良いから、これまでにない北海道を引っ張っていける小学校をつくろう。
 突拍子もないように思われるかもしれないが、これが僕の挑戦の始まりだった。

親族に教員がいたわけでもないし、僕自身は実家近くの普通の公立の小中学校で育ってきた。学校のつくり方なんて、知らなかった

田中賢介

 2019年シーズンを最後に現役を引退すると、本格的に動き始めた。当たり前だが、教育関連についてはド素人。親族に教員がいたわけでもないし、僕自身は実家近くの普通の公立の小中学校で育ってきた。学校のつくり方なんて、知らなかった。まずは本屋に行って「学校のつくり方」についての本を買うことからスタートしたレベルだ。そんなスタートだったが、小学校だけつくっても生徒は集まるだろうか。それは難しいと判断し、道内の様々な学校を調べた。
 そのなかで、僕が目指す教育方針、国際的視野や挑戦する心を育てるといった理念が、同じ方向を向いていると思ったのが、立命館だった。

Natsumi Chiba/The Players' Tribune Japan

 幸いなことに、僕には現役時代から続けているラジオ番組があって、野球や子育てなど、さまざまなテーマを扱ってきた。取材を口実に学校訪問のアポを取ることは、それほど難しいことではなかった。

「取材の後に、30分だけお時間いただけますか?」
 中高一貫の立命館慶祥を訪れる際、校長先生にそう伝えていた。そこで小学校をつくろうとしている自分の思いを語り、「実現したら、なんとか接続させてもらうことはできませんか?」とお願いしてみた。

 失うものは何もないからと、捨て身の突撃のような打診だった。それでも、ここから立命館とのやりとりが始まったのだ。

「私財をなげうたなきゃ、学校はつくれない。それが学校だし、そうあるべきだ。その覚悟がないなら、やめた方が良い」

田中賢介

 学校をつくる。そのために、2020年には学校法人田中学園を立ち上げた。しかし、国の認可を得ることはそうそう簡単なことではなかった。

 そもそも、小学校には校舎が必要だ。億単位のお金がかかってくる。ただ、小学校を新設する際に得られる国の補助金などは一切ない。最低1年間の運用資金を用意する必要があるが、厳格なルールがあり、金融機関からの借り入れは限られる。
 学校法人が税制優遇されている立場であることも関係しているが、基本的に自己資金でなければ始められないのだ。

「私財をなげうたなきゃ、学校はつくれない。それが学校だし、そうあるべきだ。その覚悟がないなら、やめた方が良い」
 ある人に言われた言葉が、いまも印象に残っている。

 なんてところに首を突っ込んでしまったんだろう。もう無理だ――。
 そう思う瞬間が何度もあった。計画が1、2カ月と停滞した時期もあった。それでも、北海道の企業の方々が少しずつ寄付をしてくださり、支えてくれた。自分ひとりでは実現できなかったと思う。

 教育ド素人だったことも、良かったのかもしれない。普通に考えたら、「札幌市の規模感で私立小学校は無理」と諦めていただろう。採算が合わないとか、小学校の受験文化が根付いていないとか、言い訳はたくさん見つけられる。だからこそこれまで札幌に小学校ができなかったのだろう。
 ただ、僕は「小学校をつくる」という目的ありきで動いていた。動きながら壁を乗り越えていったら、ゴールにたどり着いた感覚だ。

特に大事にしようと思っているのが、子どもたちの評価を、安易に「非認知能力」で終わらせないこと

田中賢介

 4月6日に入学式を迎えた1期生は、1年生から4年生までの166人。経験のある“見る目”を持った教員たちが選抜してくれた。
 ここからが本当のチャレンジだ。

Natsumi Chiba/The Players' Tribune Japan

 いくつかある目標のなかで、特に大事にしようと思っているのが、子どもたちの評価を、安易に「非認知能力」で終わらせないこと。

「子どもたちは見えない力を持っている」
 教育現場でよく使われがちな言葉だと思うが、子どもの細部までを観察していくなら、それが具体的にどんな力なのか、言語化する努力が必要だと思っている。

 たとえば、プロ野球の世界でも、スカウトの目には言葉にしにくいものが見えている場合がある。
 「目が良い」「目の輝きがある」というのは、目標が定まっていて、揺るぎない信条を持っている証拠なのかもしれない。「オーラがある」というのは、筋肉の付き方や姿勢の良さ、余裕あるメンタルからにじみ出るものなのかもしれない。
 球速や変化球のバリエーションだけでははかれない、いくつものモノサシが存在する。そこを言語化して球団に説明できなければ、指名もできない。

 もちろん、そうした違いが見えるようになるには、10年20年の経験が必要だ。それでも、それを体得することが、プロのプロたる所以なのだと思う。
 昔は見えなかったものが、時代と共にデータ化され、見えるようになることもある。

 教育現場も同じだろう。いま、僕の学校では週に1回、全教職員が参加する「見える会議」なるものを開いている。少しダジャレも入ってるが…。
 1回目の会議は「米国のハーバード大学に行くのはどんな人だろう」という議論が出発点になっているのだが、教育現場にたくさんある「見えないもの」を、どうやったら「見える化」できるか、意見を出し合う場になっている。

 答えがあるわけではない。ただ、日々の生活に追われるだけになりがちな学校生活において、想像力を失わないよう、大人たちが面白がりながら続けている。

教育ド素人ゆえの柔軟さで、僕自身がどんどん学校で新たなチャレンジをしていきたい

田中賢介

 人生100年時代。僕は野球一本でここまでの道を歩んできたけれど、さまざまな道を通りながら進む人がほとんどだと思う。
 いまの子どもたちが社会に出る時も、終身雇用的に一つの仕事をずっと続けるというより、いろんな仕事を複数経験しながら年を重ねるスタイルが、より加速していくだろう。

 将来、なるべく多くの選択肢を持てるようにしてあげたい。先進的なカリキュラムはもちろん、結局、その土台となるものは、「国際的な視野」と「挑戦する心」によって育まれていくものだと思っている。
 まだまだ子どもたちを“見る目”は先生方にはかなわないが、教育ド素人ゆえの柔軟さで、僕自身がどんどん学校で新たなチャレンジをしていきたい。

Natsumi Chiba/The Players' Tribune Japan

 たとえば、週に1回設けている「K-TIME」。
 何をするのかはその時々になるが、さまざまな分野のスペシャリストによる講演なんかはもちろん、子どもたちが十数年後に振り返った時、「あんな無駄なことしたよね」って笑っちゃうようなこともやっていきたい。

 海外との交流のなかで、メジャーリーガーとつながる機会を持てたら良いなとも思う。このサイトの発案者であるデレク・ジーター氏が教鞭をとってくれたら、最高だ。

 40歳で開幕戦を迎えた第二の人生。結果が出るのは、10年後、20年後だろう。いまの子どもたちの、さらに子ども世代が学校に入ってくるまでは、僕も頑張って「現役」を続けたい。
 言い出した僕が、誰よりも「挑戦者」であり続けるために。

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