誰もが何かを抱えている

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To read in English (Published Mar 6, 2018), please click here.

2017年11月5日、ホークス戦のハーフタイム直後に、僕はパニック発作に襲われた。

それは突然、どこからともなくやってきた。過去にはたったの一度もなかったことだ。実際に起こりうるのかどうかさえ、知らなかった。でも現実に起きたんだ──手を負傷したり、足首を捻挫したりするように。その日から、メンタルヘルスの考え方が、ほとんど完全に変わった。

僕はずっと、自分のことを明かすのが得意ではなかった。9月に29歳になったけど、この29年間、僕は自分の内側に関するすべてについて、さらけ出すことはなかった。バスケットボールのことなら、いくらでも話せる──普通にね。でも個人的なことを他の人とシェアするのはすごく難しかった。今になって振り返れば、昔から誰か話し相手がいれば、もっと楽になれていたと思う。でも僕は語らなかった──家族にも、親友にも、公にも。今、自分は変わらなければならないと気づいた。僕に起きたパニック障害に関する自分の考えの一部と、それから何が起きたかを人々に伝えたい。もしあなたが僕のようにひとりでひっそりと発作を経験したのなら、誰もわかってくれないことがどれほど辛いか知っているはずだ。ある意味、これは僕自身のためにやりたい。だがもっと大きな理由は、人々がメンタルヘルスについて十分に話し合っていないからだ。なかでも、男たちや少年たちは、もっとも遅れている。

僕はそれを経験から知っている。成長の段階で、少年は男がどういう風に振る舞うべきかをすぐに知るようになる。“男らしさ” とはどんなものかを学ぶんだ。それはプレーブックのようなものだ。強くあれ。自分の感じていることは口にするな。何かあったら、ひとりで乗り越えるんだ。そう、僕は29年間の人生で、ずっとこのプレーブックを守ってきた。実際、僕が今ここで話していることは、ちっとも新しくないよね。そうした男らしさやタフネスの価値観は実に普遍的なもので、どこにでもあるものだ……。同時にそれは目に見えないもので、空気や水のように僕たちの周りにある。ある意味では、鬱や精神障害と実によく似ている。

だからこの29年間、メンタルヘルスなんて、僕以外の人の問題だと考えてきた。もちろん、助けを乞うたり、口に出したりすることで、楽になっている人がいることも、ある程度はわかっていた。ただただ、自分には関係ないと思っていたんだ。僕にとって、それは弱さの表れであり、それによってスポーツで成功できなくなったり、変わったやつだと見なされることになったりするものだと捉えていた。

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そして、パニック発作がやってきた。

しかも、試合中に起きたんだ。

2017年11月5日、29歳の誕生日から2か月と3日が過ぎていた。ホークスとのホームゲームで、2017-18シーズンの10試合目だった。いろんな物事が完璧な嵐となり、今にもぶち壊れそうだった。その頃、僕は家族との問題を抱え、ストレスを感じていて、寝不足だった。コート上では、周囲からのシーズンへの期待に加え、4勝5敗と出遅れたことが重くのしかかっていた。

ティップオフの直後から、何かがおかしかった。

最初のいくつかのポゼッションの時に、息が切れたんだ。不思議だったよ。そして僕の出来は最悪だった。前半は15分間プレーして、シュートを1本とフリースローを2本決めただけだった。

ハーフタイムが終わると、突然、状態がひどくなった。ルー監督は第3クオーターでタイムアウトを取った。ベンチに下がった時、普段よりも動悸が早くなっていることに気づいた。そして呼吸が困難になっていった。説明するのは難しいけど、まるで僕の脳が頭から飛び出そうとしているかのように、すべてがぐるぐる回っていたんだ。空気がどんよりと重く感られた。口のなかはチョークのようにパサパサだった。アシスタントコーチが守備の陣形について、何か叫んでいたことを覚えている。僕は頷いてみたものの、彼の言葉はほとんど耳に入っていなかった。その時、僕はおかしくなっていた。起き上がってチームメイトたちのもとを離れる際、この試合に戻ってこれないとわかった──文字通り、身体がいうことをきかなくなっていたんだ。

ルー監督がやってきた。何かがおかしいと、彼も感じていたんだと思う。僕は「すぐに戻ります」とか適当なことを言って、ロッカールームへ走りだした。実際は、まるで見つからない何かを探しているように、部屋から部屋へと駆けていたんだ。本当に、ただただ動悸が鎮まってくれることを願っていた。さながら、僕の身体が「もうすぐ死ぬんだ」と訴えているような感じだった。結局、トレーニングルームの床に仰向けになり、とにかく息をしようとした。

その先のことは、朧げにしか覚えていない。キャブスのスタッフの誰かが、クリーブランド・クリニックに付き添ってくれた。すべての検査を受け、身体に異常は見つからず、安堵した。でも病院を出る時、あの経験は、一体何だったんだ、と自問していたことを記憶している。

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それでも僕は、2日後に控えていたバックス戦に出場した。勝利を収め、僕は32得点を記録。コートに戻れて安心したし、自分らしさを感じられたことを覚えている。でも何よりもはっきりと記憶しているのは、アトランタ戦でなぜ僕が途中退場したのか、誰にも知られていなかったことに対する安堵だ。もちろん内部の何人かは知っていたけど、ほとんどの人は知らなかったし、誰かに書かれることもなかった。

さらに数日が過ぎた。コート上では物事がうまくいっていたけど、何かがのしかかっていいることを感じていた。

どうして僕はそれほどまで、他人に知られたくなかったのだろう?

あの瞬間、僕は目が覚めた。パニック発作に襲われた後、一番辛いところは終わったと思っていたけど、実際は逆だった。今、僕はどうしてあんなことが起きたのか、ひとりで答えを探している──そして僕が誰にも話をしたくなかった理由についても。

偏見、恐怖、不安感──どう呼んでもらっても構わないし、ほかにも言い方はあるだろう。でも僕が心配だったのは、自身のうちにある苦しみについてだけでなく、口に出すのもすごく困難だったことにある。チームメイトとして頼りない人間だと思われたくなかった。すべては、少年時代に学んだあのプレーブックに起因していたんだ。

それは僕にとって、未知の分野だったし、大きな戸惑いを伴うものだった。だがひとつだけ、確かなことがあった。起きてしまったことを覆い隠すことはできないから、前に進むしかない。僕自身、あのパニック発作とその根底にあるものすべてを否定することはできなかった。先々まで持ち越してしまうようなこともしたくなかった。物事が悪化する可能性もあったから。それは十分にわかっていたんだ。

だから僕は、些細に思えることをやってみた。するとそれは大きなものとなった。キャブスがセラピストを見つけてくれ、僕は面談の予約をした。ここで言っておかなければならないことがある──セラピストとの診断なんて、自分には無縁だと思っていた。プロになって2、3年目に、NBAの選手はどうしてセラピストに診てもらわないんだい、と友人から言われたことを覚えている。僕はそれを鼻で笑ったよ。プロのバスケットボール選手が、誰かに悩みを打ち明けるようなことは絶対にない、と返答して。その時の自分は、ずっとバスケットボールに打ち込んできた20歳か21歳の選手だった。バスケットボールのチームでは、誰もそれぞれに抱えている内面の悩みを打ち明けたりしなかった。だから僕もこんな風に自問していたことを記憶している。僕の苦しみの正体は、一体何なんだ? 僕は健康だし、仕事としてバスケットボールをしている。何に気を揉む必要があるっていうんだ? プロのアスリートがメンタルヘルスについて語るなんて聞いたこともなかったし、自分がその最初の選手になるのは嫌だった。弱いやつだと思われたくなかったからね。率直に言って、自分にはその必要はないとさえ思っていた。それはさっきも話したプレーブックに基づいている──僕の周りにいた人々のように、自分で問題を解決しなければならない。

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でも考えてみると、不思議な話だよね。NBAでは普段から、あらゆる側面をそれぞれの専門家たちと磨き上げていく。コーチ、トレーナー、栄養士たちとは、長時間を共にしてきた。でもそのなかの誰も、僕がフロアに横たわって呼吸に苦しんでいる際、必要なサポートができた人はいなかった。

そして疑いの気持ちを抱きながら、僕はセラピストとの最初の面談へ向かった。納得がいかなければすぐにでも帰るつもりだったが、彼は僕を驚かせた。理由のひとつは、ほとんどバスケットボールの話をしなかったからだ。僕がそこを訪れた主な理由がNBAではないことを、彼は察知したようで、それは実に新鮮だった。代わりに、僕らはバスケットボール以外のことを広範囲にわたって語った。すると、しっかりと向き合わないと気づかないようなところから、多くの問題が生じていることを知った。自分自身のことを理解しているのは当然だと考える方がずっと楽なはずだけど、一枚づつレイヤーを剥がしていけば、まだまだ多くの発見があるんだ。驚くばかりだったよ。

それから、僕は自分の街にいるとき、彼に会いにいくようになった。おそらく月に、数回だったと思う。12月のある日、祖母のキャロルの話をしたとき、最大のブレイクスルーのひとつが起きた。祖母は家族の中心だった。僕が子供の頃から一緒に暮らし、多くの意味合いにおいて、僕ら兄弟にとって、もうひとりの親のような存在だった。祖母の部屋には、孫全員の写真やトロフィー、手紙が壁に貼られる"祭壇"があった。祖母はシンプルな価値観を持った人で、それは僕も共感できるものだった。一度、祖母にナイキの新しいシューズを適当に選んであげたら、彼女は飛び上がるほど喜んで、その後の1年間くらい、何度も何度も電話をくれて礼を言ってくれたよ。面白いよね。

僕がNBAの選手になったとき、彼女はけっこう年を重ねていて、僕らは以前ほど頻繁に顔を合わせなくなっていた。ティンバーウルブスでの6年目、祖母のキャロルは感謝祭の日に、ミネソタにいる僕を訪れようとしていた。でも出発の直前に、心臓の動脈に異常が見つかって入院することになってしまい、旅の予定をキャンセルせざるをえなくなった。そしてすぐに彼女の容態は悪化し、意識を失い、数日後に天に召されていった。

長い間、僕は悲しみに打ちひしがれた。でもこれについて、ほとんど話すことはなかった。知らない人に僕の祖母の話をすれば、それがまだまだ計り知れないほどの痛みを引き起こすことがわかった。掘り下げていくうちに、僕はきちんとお別れができなかったことが、一番辛いのだと気づいた。嘆き悲しむ時間さえ、まともに取れなかったし、祖母の晩年にあまり連絡を取っていなかったと感じて、ひどい気分になった。でも僕は祖母が亡くなってから、ずっとそうした感情を押し殺し、自分自身にバスケットボールに集中しなくてはならないと言い聞かせていた。いずれ、向き合えばいい。男らしくなれよ、と。

ここで祖母の話をしている理由は、彼女について話したいからではない。僕はいまだに祖母が恋しくて仕方がないし、おそらく今でも悲嘆に暮れているときもあるけど、この話を明かしたかった。なぜなら、これを話すことで、気付かされることは大きいからね。セラピストとの短時間のミーティングで、僕はあのような環境で声に出して言葉を発することの力を知った。それはマジカルなプロセスではない。少なくとも僕のこれまでの経験では、ひどく恐ろしく、気まずく、難しいものだ。話をするだけで、問題が解決するわけではない。それはわかっているけど、誰かに打ち明けることによって、問題をより理解できるようになるし、よりコントロールできるようになると知った。時が経つにつれて、僕はそれを理解するようになった。何も僕は、誰もがセラピストに診てもらうようにと言っているわけではない。あの11月以降、僕にとってもっとも大きなレッスンは、セラピストではない──自分には助けが必要だという事実に向き合うことだった。

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僕がこれを書こうと思った理由のひとつに、先週、デマーが鬱について語ったことがある。僕は何年もデマーと対戦してきたけど、彼が何かに苦しんでいるなんて思いもよらなかった。つまり、人間は誰でも何かしらそうした経験や困難──そうしたすべてのこと──と共に生きていて、時にそんな風に苦しんでいるのが、自分ひとりではないかと考えてしまう。でも現実には、誰もが友達や同僚、近所の人々が向き合っているものと同じ類の悩みを抱えているのだろう。僕は何も、誰もが一番深いところにある秘密を明かすべきだとは言っていないし、すべてを公にする必要もない。それは個人の選択だ。でも、メンタルヘルスについて語りやすい環境をつくること......それこそ、僕たちが向かうべき方向だ。

なぜならデマーが打ち明けたことにより、人々──おそらく僕らが知っているよりも多くの人々──は鬱に悩まされている自分が、異常でも、奇妙でもないと感じられているはずだから。彼の言葉は、それについて回る偏見を減らす力になった。そこには希望がある。

これらすべての問題を、解決できるようになったわけでない。それは明確にしておきたい。自分自身を知るという困難な仕事を始めたところだ。29年間、僕はそれを避けてきた。今、僕は自分に正直になろうとしている。僕の人生に関わりのある人々に、良くしたいと思う。人生を楽しみ、良いものに感謝する一方で、心地良くないものにも、きちんと向き合いたい。良いもの、悪いもの、醜いもの、そのすべてを受け入れようとしている。

最後に、最近、自分に言い聞かせていることについて語りたい。誰もが、目に見えない何かを抱えている。

もう一度、書きたい。誰もが目に見えない何かを抱えている。

それは実際、目に見えないものだから、誰が、何に、いつ、どうして苦しんでいるのかわからない。メンタルヘルスは目に見えないものだけど、ある時、誰もがそれに襲われる可能性はある。それは人生の一部だ。デマーが言ったように、「誰かが何を抱えているかなんて、誰にもわからないんだ」。

メンタルヘルスは、アスリートに限ったことではない。必ずしも職業が、その人物を定義するわけではない。これは全員に関する物事だ。境遇がどうあれ、僕らは皆、自分自身を傷つけてしまう物事をうちに抱えている──それを心に隠し留めておけば、僕らは自らを傷つけることになる。内面について語らなければ、自分自身を知る機会が奪われ、助けを必要としている人に気づくチャンスを失う。だからこれを読んでいるあなたがもし、辛い日々を送っているのなら、自分が抱えているものを口外しても、変じゃないし、特異でもないと知ってほしい。それがあなたにとって大きなものであろうと、小さなものであろうと。

むしろ真逆だ。あなたにとって、それは一番大事なことかもしれない。僕にとって、そうだったように。

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