僕の大切なファンの皆さんへ

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 物心がついたころにはもう、僕はラグビーファンだった。

 ニュージーランドがオーストラリアと第1回ワールドカップを共催した、5歳のときからだと思う。

 1987年、そのころの思い出の多くはおぼろげになったが、あの大会だけはいまも鮮明に覚えている。

 オールブラックスは、オークランドでのイタリアとの初戦を勝利で飾った。その試合でジョン・カーワンが、僕がいままで見てきた数々のトライの中でも最高の一発を決めたんだ。キックオフのボールをキャッチするやいなや、最大の馬力でフィールドを駆け巡り、イタリアチーム全選手の間を縫うように走る。タックルというタックルを軽快にかわし、ゴールラインに飛び込んでいった。僕の心に火がついたし、いま思い返してもぞくぞくするプレーだよ。

 試合が終わるなり、僕は彼のあのプレーをまねしようと、庭に飛び出した。まだちびっ子で、ボールも自分の体くらいでかかったけど、気分はジョン・カーワンそのものだった。あの黒いジャージーを身につけて、全速力で走りながらタックラーたちをかわし、タッチダウンでトライ! このプレーに、僕の頭の中にいる大観衆が熱狂するんだ。

 ニュージーランドはこの大会で、優勝を飾ることになった。キャプテンのデビッド・カークがトロフィーを高々と天にかかげた瞬間は忘れられない。その姿を見て、ある思いが僕の中で固まった。思い、というよりまだ、突拍子もない夢に近いものだったけど。

 いつか、僕もあんなふうになりたい。

 1キャップでいいからこの国の代表として、オールブラックスの一員になりたい。

物心がついたころにはもう、僕はラグビーファンだった

ダン・カーター

  僕はようやく物心がついたころだったけど、そのときの「こうなりたい」という思いは疑う余地もなかった。それを叶えるためには、どれほどの時間と犠牲を費やしても構わないのだと思っていた。

 僕は人口700人ほどの町の出身で、当時は夢なんてかなうはずもない大それたものにも見えただろう。しかしそんなことは気にも留めなかった。僕を駆り立てるものはラグビーやその他のスポーツへの情熱だったからだ。成長するにつれて、僕の部屋はラグビー、クリケット、バスケの憧れの選手のポスターで、それこそ床から天井まで埋め尽くされていった。外でスポーツをやっているか、そうでないときは家で彼らのプレーを夢見る日々だった。

 なかでも、ラグビーが一番大好きだった。

 チケットが手に入れば電車に飛び乗って試合を見に行き、お気に入りの選手を追いかけ回してサインをもらい「写真お願いします、1枚でいいから!」ってせがんだものだ。大好きな選手に近寄りたい、その願いが通じたらたぶん、もしかしたら、選手にとっても大きな勇気につながるんじゃないか、そう思っていた。後にともに戦って大変な幸福感をもたらしてくれた選手も含め、数多くの選手の成長を見るにつけ、そうした感覚を持つことが少なくなかった。

 だから、人生の新たな区切りを迎える準備を整えたいま、ファンのみなさんに何か伝えるべきだと考えた。ファンのみなさんは、僕のこれまでの人生を特別なものにしてくれた存在であり、僕が長い間ラグビーを続けることができた理由でもあるからね。

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 2002年の話をしよう。僕は20歳で、まだプロ契約に至ってなかった。

 地方のラグビーチームにいて、いくつかのアルバイトを掛け持ちしながら、近くの大学に通う仲間たちと汚いアパートで暮らしていた。プロになる夢は諦めてなかったが、当面の目標といえば家賃を支払えるようになることだった。

 ある日、クライストチャーチのオックスフォードテラスあたりを歩いていたら、ある人に呼び止められた。軽くあいさつを交わすと、彼はまるで僕らが旧友のように話しはじめた。とてもいい人だった。ラグビーの話になると、僕の考えに深い興味を示してくれたし、僕のことをよく知っているようにも思えた。どこかで会ったに違いないけど、いっこうに思い出せやしない。昔お世話になった先生? それとも父さんの友人だろうか?

 道ばたで20分ほど話して(ラグビー談義をするには短すぎたが)切り上げることにした。別れを言って、彼に背を向けて別れると、記憶を辿った。誰だったんだろう。いくら考えても、名前は浮かばなかった。

 最後にたどり着いた結論は、僕の知らない人、だった。あの週末、僕のプレーを見ただけの人。実際は、心の片隅では「奇妙な感じだけど、まあいいさ」とも思っていた。

 僕はただ20分、道ばたで偶然出会った通行人と話しただけだ。失礼があってはいけないと、まるで知人かのように振る舞いながら。

 しかしそれから、別の側面に思い至った。この男性は、僕が愛するスポーツを通して、僕のプレーを楽しんだ。だから貴重な20分もの時間を削っても、僕と話す機会を設けてくれたのではないか。ラグビーに対する情熱を分かち合えたから、僕らは旧友のように打ち解けられたんだ。

 これこそが、異なる多くの大陸や文化にまたがっていながら、世界各地のファンの間に特別なつながりがあるという、スポーツの本質な良いところなんだ。とても特異に思えるかもしれないが、ラガーマンはまさしく荒くれ者として80分間、フィールドで暴れまくり、試合が終わればすべてを過去のものとして、水に流す。多くのスポーツでは、ファンは応援するチームの観客席に振り分けられているが、ラグビーは違う。選手もサポーターも各々ができる限りの力を尽くし、終了の笛が鳴った後は、そこに敵対心などもはやなくなり酒を酌み交わすのみだ。

 僕がキャリアを積むにつれて、知らない間に僕の姿に興味を持つファンが増えていく。信じられない感覚だった。スポーツの持つ力、そして試合とその成果がいかに影響を与えるものなのか、僕は大いに学んだ。

この男性は、僕が愛するスポーツを通じて、僕のプレーを楽しんだ。だから大切な20分もの時間を削っても、僕と話す機会を設けてくれたのではないか

ダン・カーター

 僕は初めてのファンレターが届いたときから、そのすべてに返事を送ることを信条としてきた。たくさんの人々の喜びにつながるためにも、勝利がどれほど特別なものであるかを感じていた。自分のチームを応援してくれる人たちを絶対にがっかりさせたくなかったから、敗戦はその事実以上に重く受け止めた。何より、本当に多くのファンが、その感情を僕のプレーに注いでくれたことに、ずっと感謝してきた。

 人生には、自分ではどうしようもないことに振り回される局面がしばしばある。みんな、余裕のない日々を過ごしている。それでも僕のプレーを観ている80分間だけは、そんな日々のストレスを完全に忘れることができるなら、それは僕にとって格別なことだ。

 2011年、クライストチャーチで起きた大震災の経験は、何よりの実例だ。僕たちのファンやそのコミュニティの被害は本当に甚大だった。そんなときラグビーが、彼らが経験したトラウマから逃れられる身近な方法となった。そうして苦しんでいる人たちを勇気づけ、前を向いてもらいたい一心で、僕はこれまでにないほどひたむきにプレーした。

 ソーシャルメディアの発達によって、ファンとも簡単に、直接的な交流を持てるようになった。キャリアを重ねるにつれ、以前ほどファンレターをもらうこともなくなったが、それでもただ1人、日本から手紙を送り続けてくれるファンがいた。彼女は世界中どこでも僕の試合を観に来てくれたし、常に成績をチェックして、それらをもとにファンレターの内容を練りに練ってくれた。

 ユカ。そして僕に想いを届けようとしてくれたファンのみなさん。本当に、本当にありがとう。

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 僕が初めてオールブラックスのメンバーとして出場したのは2003年、ウェールズ戦だった。

 まだ21歳の若造だった。自分のロッカールームで腰かけて、目を見開いて周囲を見回したことが忘れられない。

 子どものころ、部屋の壁一面に貼ったポスターを覚えている? 本物の彼らが目の前にいる。僕が心酔していた選手たち全員が同じ空間にいる。まるで、自分の肉体から抜け出た世界を体験しているようだった。もちろん試合に集中しようとしたけど、これほどのラグビー界のレジェンドに囲まれて座っていること自体が、信じられなかった。「とんでもないところに連れてきてもらったんだ」と興奮を隠せなかった。

 フィールドで大歓声を聞いているときも、その興奮が冷めることはなかった。僕たちはそこでハカの儀式を披露した。全く、現実離れした感覚だった。ただ試合に入ると、僕の中で何かが変わった。スイッチが切り替わったんだ。そこにいる幸福感、オールブラックスでの1キャップを刻んだ夢のような感覚が、吹き飛んだ。代わりに胸を突いた思いはただひとつ。「またここでプレーしたい。何度も、何度でもだ!」

 初めてラグビーボールに触れてからというもの、僕はどんなときもこのスポーツのことしか頭になかった。人生の大部分を占めていた。とてつもない犠牲を強いられることもある。このスポーツに身を捧げることは、とてつもない体への負担を伴うことも意味する。僕はそれまで想像もしなかった高みへ向かおうとしたが、それは家族や、世界でも名だたるトレーナー、医療スタッフらの助けがなければ、成し遂げることができなかった。

 2015年のワールドカップ前。相次ぐ故障に見舞われて調子を落とし、今回のオールブラックス入りは無理だと疑心暗鬼になっていたころ。仮に「君が38歳になるまでこの先の5年間、試合に出続け、最終的に3つの異なる地域での優勝を手にする」などと誰かに言われても、僕は間違いなく一笑に付しただろう。そんな幸運など全く想像すらしていなかったからだ。

もちろん試合に集中しようと努めたけど、これほどのラグビーのレジェンドに囲まれて座っていること自体が、信じられなかった

ダン・カーター

 身体的な痛みには代償が伴い、それは現在も毎朝、体のあちこちで感じる。それでも僕はいま、回復して健全な身体を取り戻した。離れて暮らすことで犠牲になった家族との時間は、取り戻せるものではないと思っていた。だから日本で契約が残っていたシーズンがキャンセルとなると、僕は家族と過ごすためにニュージーランドへ戻り、もう二度と家族と離れたくないと実感したんだ。そして今、4人目の子どもが生まれてこようとしている。僕の人生にとって最愛の家族たちと未来を紡ぐことは何より大切なことであり、その機会を失うわけにはない。

 妻のオナーはまだ、僕の引退を信じていないようだ。僕があれだけ長くプレーを続けられたのは、彼女のおかげに他ならない。子どものころからの夢を追い続けていた僕にとって、彼女は心のよりどころとなってくれた。だけど、僕は次のステップに向かう準備ができている。口だけではなく、そう感じられる。本当に恵まれていると思う。最終的に、自らの意思でキャリアに終止符を打つことは、アスリートとしての本望なんだ。

 ただ、ジャージーを脱ぐことがさみしくないと言えばやはり、うそになる。

 フィールドに立ち、世界で一番好きなことで、人々に幸福感を与えられることに、いつもワクワクしっぱなしだった。それが当然などと思ったこともない。それができないことが、最も寂しい。

 しかし永久に選手でいることはできないと、わかっていた。どれほどの選手であっても、ラグビーというスポーツは一個人などはるかに陵駕するものだ。極論かもしれないが、僕らは単なるラグビーの将来を見届ける存在であり、このスポーツが僕らの時代よりもより良いものになることを祈ることしかできない。

 僕の最大の望みは、たった1人でもいいから、僕のプレーを見て、ちょっとでも心に火がついた経験を持つ人がいてくれたことを願う。その火花は、彼らが大切な夢を実現するために力を尽くす励みとなってくれるだろう。

 そして彼らはきっと、全身全霊で突き進めば、その見果てぬ夢もさほど不可能ではないことに気づくだろう。

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