The Drive of My Life

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 インディ500の残り2周時点。先頭で走る感覚は、人生において他では得られない。

 望みさえすればいくらでもレースで走ることができるし、優勝だってできる。トラックでは偉大なレジェンドたちに真っ向勝負を挑める。だが、インディの日曜日、最後の数マイルの準備はどうしたってできない。

 そこに以前、いたことが無ければ。

 2012年のレースで、僕はそこにいた。そして勝てると思っていた。

 僕は、さまざまな理由からその日のことを覚えている。そう、とても暑い日だった。気温はちょうど100℉を超えていた。だが、それが自分には有利に作用した。周りの車の多くはレース半ばで冷却に問題を生じ始めていたが、僕たちのレイホール・レターマン・ラニガン・ホンダは実にうまく動いていて、コースではいいペースで順位を上げていった。残り6周、最後のリスタートまでに、僕たちは5位に浮上していた。

 そして、残り2周で僕は3位、ちょうどダリオ・フランキッティの後方にいた。彼はターン1に向かってスコット・ディクソンの内側から順位を上げたので、僕も彼を追った。

 インディ500の間、みな、ただレースをしているのではない――学んでいる。495マイルのゴールまで全てのマイルで、自分の車についての情報を知的に記憶していくのだ。どこでグリップが得られるのか? どの場所で自分が最速だと感じるのか? 必要であれば、どうやって自分のラインを守るか? ディクソンの内側から順位を上げたとき、僕はターン1のバンクでグリップを感じていた。――あれはいい感じだった。これで、人生で最も大きなレースの勝利まであと7ターン。

Bill Friel/AP Images

 しかし、3ターンが過ぎても僕は仕掛けられずにいた。そのためにはダリオとのギャップを縮める必要があった。僕はフロント・ストレッチに出てきた際、彼に付いて最高の走りをした。吹き流しを見上げ――どの周でもそうするように――ターン1にかけて向かい風であることを確認。つまり、車にはより風力がかかり、グリップも強くなる。そこで、僕は勝負に出た。最初に思ったことは、何が何でもダリオに接触しないようにすることだった。もし、そうなれば、彼はリタイアになるし、僕もそんな風にしてレースに勝つことはしたくない――そんなのはごめんだね。

 ダリオは防御をしてきた。僕はホワイトラインで少しばかり下がり過ぎた。そして次の瞬間、気が付くとスピンをしながら壁にぶつかっていた。インディ500リタイア。不朽の名声まであと4ターン。ダリオとの差はわずかだったが、そのために全力を尽くさなければならなかった。これがレースというものだ。

 当時、僕は36歳だったが、それまでメジャーレースで勝ったことは一度もなかった。こんな機会が、どれほど訪れるというのだろう?

 そんなことはめったにない。それが答えだ。



 最初にテレビで観たレーシングは、インディアナポリスのサーキットだった。僕は7歳、6500マイル離れた東京で、床に座ってレースを観ていた。あまりよく覚えていないのだが、ずっとスピードが落ちることなく速かったから、あれはインディ500だったんじゃないかな。よくわかっていなかったかもしれないし、…あるいは、別世界のように感じていたのかもしれない。

 この後、僕はレーシングに夢中になった。ドライバーになりたかった。そして、僕は本気でドライバーを目指した。

 ヨーロッパ中の様々なシリーズのレースに出て、フォーミュラ1にも出場した。そのなかでも、インディカー・シリーズは、僕の人生でもっともやりがいのある経験のひとつだ。偉大な方たちに出会ってともにレースをしたあの日から、ロングビーチで初優勝した2013年のあの素晴らしい日まで――本当にたくさんの思い出がある。永遠に忘れることはないだろう。

 それでも、2012年のことは、まだ時折、後に引きずることがあった。7歳の僕も、40歳の僕も、あのレースに勝つことを願っていたのだ。

 今季、僕はアンドレッティ・オートスポーツに移った。そしてこの車がインディに向けて新たな希望を与えてくれた。先月はずっと違う感覚だった。なぜなら、サーキットに入った最初の瞬間から、僕たちには勝つチャンスがあると感じられたのだから。予選は好タイムで通過――車は素晴らしいペースを有していた。だが、どんなことよりも僕たちには、トラフィックの中でもとてもうまく走行していたことが重要だった。これによりレースへと向かう自信を得ることができたのだ。

 そして、日曜日…今までとは違う感覚があった。自分のキャリアにおいて、インディで勝てると感じるのは初めてのことだった。頭の中では、負ける要素が見つからなかった。

 僕たちのチームは本当に素晴らしかった。7回のピットストップ、そのすべてが強力で、勝つための最高のチャンスを与えてもらった。そして、残り数周のところで、僕はまたそこにいた。

 あれから5年、僕はインディに戻ってきた。そして勝利まであとわずか。

 その前の数周で起きたことが、最後に影響を及ぼした。僕は残り9周で2位。ここでターン1の外側からマックス・チルトンを追い抜こうとした。内側のグリップがとてもよく、このまま足を踏み続ければマックスのようなリードを維持できるだろう。頭に入れておこう、そう思った。

 数周後、エリオ・カストロネベスが飛ぶように走ってきて、リードを奪った。ここで僕は2012年にダリオにしたように、彼の後ろを追った。ただ、この年は、チェッカーフラッグまで少し時間があった。ここからは僕とエリオのメンタルゲームだ。追い抜けることはわかっていたが、また追い抜かれたとしても抜き返せるように、それだけの時間が必要だった。だから頭で計算をした。残り5周、いい走りができていたので僕は動いた。フロント・ストレッチで彼を追い越したのだ。

 エリオが追ってくることはわかっていた。彼は強敵だ。3度チャンピオンになった倒すべき強敵。彼は簡単にあきらめたりしない。彼はいい走りをしてターン1で僕に近づいた。だが、僕はターン1でのグリップを知っている。数周前にも確かめたし、2012年には知っていた。

 足を踏み続けた僕を、エリオは抜き去れなかった。

 次の2周は少しおぼろげではっきりしない。チェッカーフラッグを走り抜けたことと大きな安堵感は覚えている。エリオとのバトルは光栄なことであり、このレースに勝てたことは名誉だった。そして、日本人として最初のチャンピオンになったことにとてつもなく大きな誇りを感じている。

 インディ500に向けて備えることはたくさんある。スタート、ピットストップ、リスタート。だが、ビクトリーレーンのドライブ…。これは何かを参考にしようとしても無駄だ。そこでどのように感じるのか、どんな経験をするのかは、誰にもわからない。

 2012年からずっと、勝つために追い抜くことだけを何度も考えていたけれど、実際に勝つとどんな感じなのか僕は想像したことがなかった。ビクトリーレーンに着いて車から降りると、その感情が僕を襲ったのだった。

 インディアナポリスはとにかく特別な場所だ。これをアンドレッティ・オートスポーツ・チームと分かち合えたことは、僕の味わった最高の経験のひとつである。

 間違いなく、それは僕の人生でベストの500マイルだった。

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