これまで伝えなかった大切なこと

En Otsuru/The Players' Tribune Japan

 2ヶ月ほど前、僕は現役引退を表明した。
 これまでアスリートとして駆け抜けてきたスケート人生。それにピリオドを打つ引退会見を3月29日に行った。

 僕は清水宏保さんのような、最後まで戦い抜く男の姿に憧れて、これまで必死にもがいてきた。でも、自分自身がアスリートとして限界を感じていたこと、そして若手が力を付けてきたこともあって、最後のレースの1ヶ月前くらいに引退を決意した。

 引退会見では思いの丈を伝えたつもりだったけど、実は、あの場では語らなかったことがある。

 それは家族のこと…。

 これまであまり聞かれることもなかったし、家族に負担を強いると思って、話題にすることを避けてきた。
 僕は普段トレーニングでは一人でいることが多かったが、たくさんのサポートを受けて活動してきた。その中でも家族が最大の支えとなっていた。その支えがなかったら、引退はもっと早くなってしまっていたかもしれない。

 口下手の僕だから、どこまでうまく伝えられるか分からないが、大切な家族のこと、そして誰よりも頑張ってくれた一人の女性について書いてみようと思う。

 彼女のこれまでの苦労が、ほんの少しでも報われたらと願って。

Alex Livesey / Getty Images

 僕は高校3年生の時にワールドカップ日本代表に選ばれてから、アスリートとして第一線を走り続け、オリンピックにも4度出場することができた。

 そんな僕の人生を大きく変えたのは、ある女性との出会いだった。

 正直、他人と長くいることが得意ではない僕が、彼女とは自然体でいることができたこともあって、僕はその女性と結婚した。

 そのことが僕のアスリートとして、夫として、父親としての生き方がガラリと変わったきっかけだった。

何を選んで、どう活かしていくかが、僕は大事だと思っている

加藤条治

 僕は子どもの頃、父と母がごく当たり前に家にいる環境で育ってきた。だから僕の家庭も同じで、子どもが家に帰ったら両親がいる、そういう家庭を作りたいと思った。
 子どもと一緒にいることができるのは限られた時間だけだし、子どもの将来のためにも一緒にいたい。そして、いつもニコニコ見守っている親でありたいと思った。

 そして僕が選んだ道は、家庭を優先してスケジュールを決める「家庭型」。

 このやり方で、アスリートとしても強くなっていこうと決意した。

En Otsuru/The Players' Tribune Japan

 2015年3月に第一子となる長女が誕生した。
 子どもの存在は、僕が家庭を優先する生活を選んだ大きな理由になった。

 選手はトップレベルになればなるほど遠征が増えて、その分、家族と一緒にいる時間を犠牲にしてしまうことも多いが、僕はできるだけスケートと家庭を両立させられたら、そう思った。

 人生において、何を選択し、どう活かしていくかが、僕は大事だと思っている。だから家族を選び、自分のできることをしたかった。

 例えば、拠点を長野に移したこともその一つだ。練習が終わったら自宅に早く帰って家族と過ごす時間を少しでも多く作るようにした。それから、合宿は最低限の日数にした。沖縄・石垣島での合宿は家族を一緒に連れて行ったし、北海道の帯広での夏合宿では、道内にある奥さんの実家の近くに泊まって、奥さんの里帰りを兼ねることにした。

En Otsuru/The Players' Tribune Japan

 家族を優先する生活は競技に集中しにくくなる分、成績が下がるリスクも少なからず抱えている。だけど、自分や家族の人生を豊かにするという意味では、自分の競技人生にがむしゃらだった20代の頃から、こういう風に考え方がシフトしていくのは、僕にとっては自然な流れだった。

 とは言っても、大変なことも多かった。

 練習を終えて自宅に帰ると、自分の部屋に荷物を置く暇もなく、子どもと遊んだり、食事の手伝いをしたり、お風呂に入れたり…。寝かしつけながら、自分も一緒に寝ちゃうこともよくあったと思う(笑)。

 そういう生活をしていると、ストレッチやセルフケアがどうしても後回しになってしまう。
 それと、スケートは体を動かすだけじゃなく、練習方法や技術について“考える”こともすごく大事だけど、そういった時間を確保するのが難しかった。
 一人のアスリートとして、これでいいのかと悩まなかったわけではない。

 だけど僕はそれを「デメリット」とは思わなかった。苦労はしても、その道を選んだのは僕自身だし、「失う」かもしれないものの代わりに「得る」ものがたくさんあった。
 そして何よりその生活がとても充実していた。

僕の生活は、奥さんがいないと成り立たなかった。「感謝」という言葉では言い表せないくらいに…

加藤条治

 これまで自分のことを書いてきたけど、こうやって「家庭型」のスタイルでやってこられたのは、何よりも奥さんがいつも一緒にいてくれたからだと思っている。プレーヤーは僕だけど、その土台を作ってくれたのは間違いなく奥さんだ。

 だから僕なんかより、奥さんの方がもっともっと大変だったと思う。
 住む場所も僕が選んだ長野にしてもらったし、1日3食の準備も、ただ作るだけじゃなくって栄養のことをものすごく気にしてくれた。自分のことをやる暇なんてないくらい、働き詰めにさせてしまった。

 特に食事の支度ではプレッシャーがものすごかったと思う。
 よくテレビのドキュメンタリー番組などで、いろんな競技の選手の奥さんが、献身的に夫のために料理を作るシーンがある。大抵はたくさんの美味しいものが食卓に並んで、「(非の打ち所がない)完璧なサポート」という場面だ。

 でも、本当はテレビには映らない裏側があって、サポートしている人は見えないところでもがいているんだと思う。うちの奥さんもテレビを見て「自分もああじゃなきゃいけない」って思って結構つらかったはずだし、実際に僕は奥さんのそんな様子をこの目で見てきた。

En Otsuru/The Players' Tribune Japan

 僕自身の反省点は他にもいっぱいある。
 僕が家族を優先する生活を選んだことで、奥さんには相当苦労をかけた。奥さんが子どもを世話する時間は僕より圧倒的に多いし、僕がいない方が楽なこともあったはずだ。

 そんなこと、奥さんは一度たりとも言わなかったけど。

 一方で僕の生活は、奥さんがいないと成り立たなかった。「感謝」という言葉をいくら並べても言い表せないくらいに。

勝つつもりで挑んでいたから残念ではあったけれど、後悔はしていない

加藤条治

 平昌オリンピックのシーズン、オリンピックに出られなければそのまま引退する覚悟でシーズンに挑んでいた。シーズン前半はなかなか調子が上げることができないまま選考会をむかえることになり、奥さんが「これで終わる可能性もあるの」と悲しそうにしていた時があった。
「いや、ここの結果どうあれ、まだやるよ」
 そう言ったら、すごく喜んでくれた。

 この時、僕のスケートを誰よりも応援してくれているのは奥さんなんだな、と改めて感じて、素直に嬉しかった。と同時に、僕の気持ちの変化をきちんと伝えることができていなかったことを反省した。

 それからはいろんな共通認識を持つよう、「気持ち」を話す機会が増えた。

YUTAKA/アフロスポーツ

 そして迎えた北京五輪代表選考会。これが僕の現役最後のレース。
 序盤は順調な滑り出しだったが、カーブで転倒してしまった。勝つつもりで挑んでいたから残念ではあったけれど、後悔はしていない。

 レースの後、奥さんは笑顔で僕のことを迎えてくれた。
 特別な言葉はない。普段からずっと一緒に考え、一緒に過ごしてきたから。

 ちなみに…。子どもたちは、転んだお父さんのことを笑って楽しんでいた(笑)。

Joji Kato

 奥さんは、「自分はちゃんとできていないのではないか」とか、「条治さんはアスリートなのに、こんな生活をさせてしまって申し訳ない」とか、すごく感じていたと思う。

 でも、そうではない。

 これは自分がやりたくて選んだこと。つらいことは奥さんが一緒だからこそ乗り越えられた。

 いい人と結婚して、いい家族を持って、全面的にサポートしてもらえたからこそ、こういう自分のスタイルが貫けた。
 これは誰でもができることではない。パートナーによってはできないこともあるかもしれない。でも僕は、最高の家族に囲まれたおかげで、最高のスケート人生を送れた。

 家族といられる幸せって、数えられないほど沢山ある。

 合宿三昧だったら感じられなかった日々の幸せが、至る所にある。

 子どもの笑っている顔、朝の表情、学校から帰ってくる時や、夜に寝る時の様子…。

 ささやかだけど、最高の瞬間があちこちにあった。

 実際「俺って幸せだなー」と、口に出して言う瞬間が何度もあったし、そんな瞬間が得られるのは、こういうスタイルでやってきたからこそ。家族と楽しく過ごせば、人生は豊かになる。

 もし、またアスリート人生を送るなら、僕は同じ選択をするだろう。いや、他の選択肢が僕にはない。

 これから、もっと色んなことにチャレンジしたいと思っている。

 奥さんと一緒に、そして、家族みんなで同じ時間を共有しながら。

En Otsuru/The Players' Tribune Japan

---

 これで終わろうと思ったけど…。
 実は今回の文章をまとめるにあたって、僕が今まで本当にお世話になってきたマネージャーさんや、The Players’ Tribuneのスタッフの人が、こんな提案をしてくれた。「良かったら、大切な奥様にLove Letterを書いてみませんか?」って。
 Love Letterなんて書いたこともないし、照れくさいなと感じた。でもこういう機会だからこそ書けるかも、って思った。だから心を込めて、最後に書いてみることにする。



大切な奥さんへ

いつも、一番近くで見守ってくれてありがとう。いつも自分のことより僕のことを優先して、考えて行動してくれていましたね。子どものことも家のことも、ほぼほぼ任せっきりで、「うちには子どもが3人いる」と言われたこともありました(笑)

僕はここまでスケートを頑張って、世間で評価されていますが、その裏には、その分だけ苦労しているあなたがいたことを、誰も知らなかったでしょう。僕自身もその苦労に気づかず、傷つけたこともたくさんあったと思います。

それでも、いつも明るく家庭を支えてくれて、ありがとう。

僕は「家族を大切にしたい」と思ってこれまでのスケート人生を歩んできましたが、それがあなたにとって、逆に大変な思いをさせたこともあるでしょう。

本当は、大切にされていたのは僕の方だと気づきました。

いや、気づいていました。

結局は、あなたに支えられっぱなしだったんだと思う。これから先の人生、どうなるかまだ分からないけど、家族みんな一緒で幸せに過ごしていきたいね。頼ることも多いと思うけど、それ以上にみんなを支えていこうと思います。

これからもよろしくお願いします。

加藤条治



FEATURED STORIES