未知なる世界へ

To Read in English(Published Jul 26, 2017),click here.

 出場停止からの復帰戦で、私の周りのありとあらゆる人が知りたがったことはたった一つ。私が試合に臨むにあたってどう感じているのか、ということだったわ。友達からも、家族からも、試合前の限られたメディア対応の場でも、それが最も多く聞かれた質問だった。
 そして私の答えはいつも同じ。“ノーアイデア”

 だってそれが本心だったから。私はただ本当に…さっぱりわからなかったの! 緊張する? それとも興奮するの? 自信満々で挑める? 警戒心を抱く? 幸せな気分なのかな? それとも悲しい気分? 喜ばれる? それとも嫌われる? ホッとしている? 怖がられるのかも?
 気持ちを表現したり、どんな気持ちを抱くのかを想像したりするのはとても当たり前なこと。だから「どんな気持ちか?」というのはとってもシンプルな質問だと思うわ。でもその一方で、全く反対なことにも思えたの。つまりこれは決して分かりえない、答えが見つからない問いなんじゃないかとね。15ヶ月ぶりにコートに戻る前日、シュツットガルトでのあの夜はまるで、世界中に存在する全ての感情と、その感情を表す全ての言葉が、目の前のテーブルの上に散らばっているような気分だったわ。

 そして私は本能的に、全ての感情に対応する準備をしようとした。オッケー、じゃあもしこう感じたら私はどう対応する? こういう風に思ったらどうすべきかしら? こういう気分になったら? こんな風な気持ちになったらどう? という具合に。結局、それがプロとしての私の仕事でもあるの。最高のパフォーマンスを出せるように、試合に向けて常に準備してトレーニングをするの。

Tim Clayton

 でもすぐにそうした準備は何の意味もないということに気づいたわ。これは、何というか、準備などできないものの一つだってことね。どんなに頑張ったところで、これから起こることについて練習するなんてことはできない。もちろん頭の中で予測したり、想像してみたり、様々なシナリオを思い描くことはできるわ。でも結局のところ、どんな気持ちになるかなんて知る術がないの。だから私には選択肢がないってことに気づいたわ。私にできることは、ただ何も考えず、大きく深呼吸してコートに足を踏み入れることだけだった。

 私は未知なる世界に向かって踏み出すしかなかった。



 今までも、私は“不確かなもの”との付き合い方があまり上手だったとは言えない。

 テニスプレイヤーとして――他の多くの職業にも当てはまると思うけど――私は、私の中の “確かなもの”と“不確かなもの”、この二つの駆け引き、あるいは戦いとも言えるその中心に身を置いているわ。“確かなもの”は、日常のルーティーンの中に当然存在する。例えば、毎日のジム通い、練習、遠征。それに、家から遠く離れた土地で眠ること、その国の音楽を聴きながら、試合会場に向かう30分ほどの孤独な車移動。瞬く間に過ぎては繰り返されるスケジュール。

 でも一方で、変な言い方かもしれないけど、こうした日常のルーティーンの中にも“不確かなもの”があるの。ボールもサーフェスもトーナメントごとに違う。毎日の対戦相手も、気象条件だって違うわ。こうした違いにどう対応するか? 記者会見はあったか? あったのならその会見は上手くいったか? 次の試合はいつか? 対戦相手は誰か? 次のトーナメントはいつ、どこで? 次の目標は何か? 挙げたらきりがないくらい。

 15年間にわたってこうしたルーティーンで過ごし、“確かなもの”と“不確かなもの”を経験して――それはもう、とてつもなく長い時間としか言いようがないわ――、私にはすごく不思議な感覚があるの。時計や、スケジュール、カレンダー、これらは進み続ける、決して止まることのないもののはずだけど、私にはいつもこうした進み続けるはずのものがゼロに戻って初めからやり直している感じがするの。

 15ヶ月を経て、試合復帰に向けて準備していたこの特別な瞬間においてさえも、私はそんな感覚にとらわれたわ。私は心のどこかで、これは前にも経験したことがあると感じた。2008年に肩の手術を受けて、同じような長い期間のトレーニングを経て復帰した。その経験からだけでも、私は時間をかければ以前と同じようなレベルまでカムバックできると確信していた。

Damian Dovarganes/AP Images

 でもそれと同時に、今回試合から遠ざかっていた期間には今まで経験したことのない特別な要素があるとも感じていたの。今回の出場停止では今までと比べようがないもの――出場停止の決定による周囲からの批判やメディアからのプレッシャー、心理的負担――があったわ。だからこそ、実際にその期間を経過してみないと確信を持てることなんて何もなかった。この15ヶ月間ではっきりしたことは、私が取り戻さなければならないことは二つあったということ。一つはフィジカル面で以前のレベルまで戻すこと。もう一つは、そう、メンタルな面でも取り戻さなきゃいけないってこと。

 そこには“既知の世界”と“未知の世界”があった。

 復帰するということは事実だが、以前と同じようにプレーができるかを信じることは別だった。



 4月の復帰戦の前夜、私は母と話していたの。

 母は基本的に、私の遠征に帯同するけど、決して試合会場には来ない。本当の話、この10年間で母が私の試合を見たのは3回くらいしかないわ。決してそれが悪いと言っているのではなく、ただ単純に、トーナメントや選手控室の雰囲気、スタンドからの観戦とかそういった全てが母のスタイルに合わなかったんだと思うわ(母親って自分たちのルールを作るのよね)。そして復帰戦の前夜、私は母と、母娘がするような他愛ないおしゃべりをしていた。そろそろホテルの部屋に戻ろうと思った時に、なんだろう…本当に突然私は母にお願いしたの。「ママ、明日試合に来ない?」

 理由はよくわからない。何を言おうとしているのかわからないままに話し始めて、話し終わるまで結局わからないことって誰にでもあると思うけど、その時はたぶんそういう感じだったんだと思うわ。

 母はちょっと考えてから、私を見て言った。「ええ、そうね、見に行くわ」

 私は「OK!」という感じだった。

 それは一瞬の出来事だし、会話とは言えないほどの短いやりとりだった――けど、すぐ後に、そのやりとりが私には大きな意味があったことに気づいたの。たぶん、今までやってきたどの試合とも違うものだということに、私は心のどこかで気づいていたのだと思う。そして逃げも隠れもせず、それに真正面から向き合おうと私は心のどこかで既に決意していたのだと思うわ。よし、やるぞ、という感じね。――この試合は今までと違う。少なくとも私自身にとってはね。

 私は母におやすみを言い、また明日ね、と言ったわ。

 その晩はここ数年で一番ぐっすり眠れた。



 ええ、認めるわ。私はミステリアスであることが好きなんだと思う。

 私は、誰もが知っていて、誰からも愛され、理解されるような、そんな人になりたいと思ったことは一度もないわ。ときどき、こういう考え方だから私は古くさい、昔っぽい性格なのかもしれないと自分でも思うの。最近気づいたことだけど、ツアー選手のほとんどが試合後のロッカールームで同じような習慣を持っているの。コートを後にして、歩いてロッカールームに向かって、そしてそのすぐ後に――着替えもせず、シャワーも浴びず――真っ先にスマホを手にして、ツイッターにログインして、エゴサーチする。

 数年前から気づき始めていたことではあるけど、私にはとても衝撃的なことだわ。それはまるで、周りの意見や批判が吐き出される装置であり、あるいは自分の評価を確認する装置のようでもあり、とにかくみんながその装置に囚われていて自らを消耗しているように見えるの。わからないわ。もしかしたら私だけが理解できていないだけかもしれないし、本当は素晴らしいものなのかもしれない。でも単純に、私が興味を持つことではなかった。

Adam Pretty/Bongarts/Getty Images

 私のことをツイッターでつぶやいてほしいか、あるいは話題にしてほしいか、気にかけてほしいか、はたまたプレイをする私を見に来てほしいかと聞かれたら、もちろん答えはイエスよ。私は噓をついたりしないわ。多くの努力を積み重ねてここまで来たわけだし、スポットライトを浴びることも手に入れたものの一つと言えるもの。私はずっとトップレベルで試合をプレーしたいと思っているし、そうしたトップレベルの試合はそれに見合った注目を浴びることも理解している。私は18番コートでプレーするような人生は絶対にイヤだった。センターコートこそが私にとってのホーム。でも同時に、注目されることと批判や批評されることには違いがあると思っているわ。そしてそれこそが、私がずっと抱いていた違和感の部分なの。私は世間の人たちが私について何を言っているか知る必要はないと思っている。私について話しているという事実だけで十分だということ。

 それでも一つ気づいたことがあるの。ミステリアスで近寄りがたいと思われることと、隙がないと思われることには共通点がある。最近そのことについてよく考えるの。なぜかというと、私はいつも自分には弱い部分があると思っているから――他のみんなと何も変わらないと。自分の周りに築いた壁は、人々が思うような頑強なものでは全くないわ。その壁を突き破ってくるものもやっぱりあるし、そして私も色々なことを感じてしまう。

 このことは様々な観点から言えることよ。



 例えばそうね、私は無関心な人間ではないわ。多くのライバル達が私のことをどんな風に言っているか、そしてプレスに対していかに批判的なことを言っているか、私はちゃんと知っている。それらを完全に無視することは、血の通った人間には無理だと思うわ。そんな経験をして、居心地の悪い気分にならずにいたり、傷つかないでいられることなんて不可能なことだわ。

 でもそれと同時に私は、こうした批判にたいして――誰からの批判であろうが、いつ批判をされようが――常に広い心で受け止められるように意識しているの。決して、批判する人達に批判でやり返すことだけはしたくないと思ってきた。これは私にとってとても大切なことだったわ。いつも品位を持って対応すること。これは私が知る中で最も品があってエレガントだと思う母から学んだこと。様々な批判に対して、私はいつも敬意を持って対応したわ。そして、批判する人々をはじめ全ての人にそうした態度を示すことで、敬意を持って接することもできると示しているの。

 簡単な選択肢だとは言えない。信じて――真逆のことをする方がずっと楽よ。記者会見場に入って、席について、ライバル達が私に対して言ったことについて質問を受ける。批判されて、非難されて、やり返す。まさに泥仕合よね。私の中にもそんな…激しい対抗心を持った自分もいるの。ほとんどの人は知らないことだけど、実は私はボクシングの大ファンなの。子供の頃からテニス以外で一番夢中になったスポーツがボクシングだった。テレビで試合も見るし、有酸素運動として取り入れてもいるわ。そして、ボクシングで一番好きなのが、リングに上がる時。すごく落ち着いて穏やかなのに、それでいて張り詰めた感じがする。リズミカルで堂々としている。私はいつも想像しちゃうの――記者会見が、ロープをヒョイと持ち上げ体を滑り込ませてリングに立ち、スパーリングをするようなものだったらどんなにか楽かってね。ボクサーみたいに踊るように動いて、ジャブを数回打って、コンビネーションもいくつか決めて、それで、はい、おしまいって。

 でも、私は単純にそういうことには全く興味がないの。テニス――それが私の心にある闘争心が凝縮される場所。まだ子供だった頃にそう決意したし、それ以来ずっと努力してきたわ。コートの外での色んな嫌なことは…私の心の中には入りこまない。説明するのはすごく難しいし、理解してもらうのはさらに難しいのはわかってるつもり。これはどこまでも自分の内面の話だから。でも結局のところ、私は心の中ではツアーにいるみんなに対してすごく敬意と称賛を抱いているの。それこそアンチの人達も含めてね。

 いつかみんなが私と同じような考え方に変わってくれることを願っているわ。

 この数ヶ月間で、もう一つ、自分の弱さについても学んだことがあるわ――それは様々なメディアでの批判や、ライバル達とは全く関係がないこと。

 そう、それは私のファンとのこと。

 熱狂的なファンも含め、ファンの人達に心を開くことは、昔から私にとっては簡単なことではないの。それはもちろん、私がファンの人達を認めていないとかそういうことではないのよ――むしろ正反対なこと。私はファンを大切に思っているし、これまでの私の成功にはファンの存在が不可欠だったこともわかってるわ。

 だけど、そこには理解していることがあるの…本当に心から理解していることが…。

 誤解を恐れずに本当のことを言えば、今回の出場停止期間と、そこからの復帰を経験することで、私を応援してくれるファンの存在が私にとってどれほど大切なのか、やっと理解し始めたと思うわ――表面的なことじゃなく、もっと深いレベルで。人間対人間のレベルという意味ね。

Lee Jin-man/AP Images

 私の言う「人間対人間のレベル」というのは――忠誠心の概念みたいなもの。私にとって忠誠心は最もパワフルな性質の一つだと言えるわ。人間関係においては忠誠心が全て。そして、困難な状況に遭遇したときこそが、人々の忠誠心がわかる瞬間だと言っても過言ではないと思う。自分がトップにいるときは多くの人が周りに集まってくる。でも状況が変化すると手のひらを返したようにいなくなるわ。不思議よね。普通はこういう忠誠心は、友人関係やビジネスパートナーとかの関係の中で意識することが多いと思うけど、この2年間で私の心に最も響いた忠誠心はというと――これが私の本心よ――私のファンからのものだったの。

 今回の報道が出たとき、ファンの人達は私に寄り添ってくれた。処分が決定したときも支えてくれた。出場停止期間中も変わらずにいてくれた。そして私がコートに戻った時…。

 私は決して忘れない。

 普段トーナメントに参加する時、私は早めに準備したいタイプだけど、復帰戦にあたるトーナメントでは運悪くそれができなかった。なぜかというと、私の出場停止解除の日が、私の1回戦の日と同日だったの。だからその日にならないと現地で練習をすることができなかった。つまり私にとっての最初の公式練習は――インドアのセンターコートだったわ――試合開始の数時間前になってしまったの。その結果、たくさんの記者が詰めかけたわ。そして当然、その場の雰囲気は…かなり張り詰めていた。

 それでも私は平気だった。練習中コートの周りにあれだけの取材陣を見たのは人生で初めてだった…でも練習自体は問題なくこなせた。ただ、そこには敵対的な空気のようなものも流れていた。わかるでしょう? 私を包む空気には緊張感がただよっていて、なんだか全てがちょっとしたパフォーマンスのようにも思えた。そして楽しめる要素なんて全くなかったと言えるわ。

 でもその日の午後になって、練習用の小さなコートに出たの――試合前の緊張をほぐして、何球かボールを打つために。25分かそこらの短いセッションだったし、大したことない時間だったわ。でもそこに行くと…説明するのは難しいわ。その瞬間…抑え込まれていた感情が解放されるような説明しがたい気持ちになったの。私を見つけた瞬間、大勢のファンが練習を見るためにコートの周りに集まってきた。みんなロシアの国旗とそして…手作りの「WELCOME BACK, MARIA」と書かれたサインボードを持って…拍手したり歓声を上げたり、練習の間ずっと応援してくれたの。

 普段の私なら、試合間近の練習ではレーザービームのように集中するの――でも、認めるわ。あの時だけはいつもみたく集中できなかった。ファンの人達のことを考えたの…こんなに多くのテニスプレイヤーの中から私を選んでくれた…そして一連のことがあってもなお私のそばにいてくれる…時間をかけてこのサインボードを作ってくれた…そしてわざわざここまで足を運び、この練習コートに来てくれた…そして私を支え、自分たちがいることを私に伝えてくれた。突然、今までとは全く違う感覚で、私はファンの人達のサインボードの存在にはっきり気づいたの。コートでボールを打ちながら――頭の中では、サインボードを作る女の子たちのことを想像していた。家で、サインボードを作るのにぴったりの糊とグリッター、マーカーを探して、なんて書こうかを心に決めている姿。そういう全てを私のためにやってくれている。ちゃんと伝えられているかな…そういう全てが突然、私の中で込み上げてきたの。それはとても心動かされることだった。それは、最初の練習が終わり、たくさんのカメラの前で、私が一体誰のためにこの試合をプレーするのかを改めて感じさせられる出来事だった。

 そして今、支えてくれたファンに今度は私がお返しをする番だと感じているわ。だって、自分のキャリアの次のフェーズにおいて達成したいことがあるとしたら、それは――応援されるに相応しい選手であり、人間であること――ずっと変わらずにいてくれたファンのために。

 そして何が起ころうと私を応援してくれる人達のために。



 何かがきっかけで物事が変わるなんて、不思議なものね。

 たぶん人々は私に対して、全てを手に入れている人という印象を持っていると思う。だからこそ、私が幸せと感じるハードルはとても高いのだと思っているのかもしれない。

 そこで、私がここ最近で、心から満たされたと感じた瞬間について話すわ。

 数ヶ月前の5月半ばのある朝のことよ。私はイタリアン・オープンでプレーしていて、1回戦をストレートで勝ったところだった。復帰後3つ目のトーナメントで、私は少しずつ自信を取り戻せていると感じていたわ。今になって思えば、15ヶ月にもわたってプレーしていなかったのに、復帰後立て続けに3つのトーナメントでプレーするのは間違いだったのかもしれない(いやいや、"かもしれない"じゃないわよね。今になって思えば、いったいマリアは何を考えていたんだか…)。だけど、私はただ復帰できたことに興奮しすぎていたのね。やっていることが楽しすぎて、それを一晩中続けたくて、ただそれだけの理由で一睡もしなかった経験をしたことあるかしら? 私が3連続でトーナメントに出場してプレーしていた時はまさにそんな心境だった――私の身体が興奮だけでついてきている感じ。ローマでの2セットを終えた時点で、とにかく私は最高の気分だった。

Tim Clayton

 2回戦はナイトマッチだったわ――イタリアにおけるゴールデンタイムの午後7時半。だから、私は午前中の時間を少しゆっくり過ごすことができたわ。いつもより少しだけ遅く起きて、ホテルの部屋で朝食をとった。ホテルは丘の上にあったから、私の部屋からは街を見下ろす素晴らしい眺めが広がっていた。バチカンやコロッセオがすぐ目の前にあって…本当に触れられそうなくらいよ。5月のイタリアは天気も最高。鳥たちがさえずっている。そして何よりも、全仏オープンのワイルドカードでの出場決定の知らせが今にも来る時だった――私はとても気分が良かったわ。

 もしかしたら私はあの時のことを実際よりも美化しているかもしれない――本当のことを言えば、ツアー中の朝の時間自体は大して珍しいことではないから。海外の都市で起き、朝食をとり、そして練習に行く準備をする。大したことじゃない。でもなぜかあの日、いつも通りのルーティーンだったのに、なんだかとても特別なことのように感じたの。突然、15年もの間同じことをしてきたと思えなくなっていた。むしろ、人生で全く経験したことがない、初めての体験のように感じた。ホテルにいることにドキドキして、2回戦に出場できることに誇りを感じ、ワイルドカード獲得に期待を寄せている――こんな感情はしばらく抱いたことがなかったものだったわ。

 とにかく、あの朝、目が覚めてとてもとても幸せだったことを覚えている。今いる場所が、なんと言えばいいかな――私が居てもいい場所なんだって。

 知っての通り、そのあとには、全てが崩れ落ちたわけだけど。その日が終わる頃には、私は試合に負け(怪我で棄権した)、ローマから脱落し、全仏のワイルドカードも逃した。そしてその時は知らなかったけどウィンブルドンの出場権も逃していたの。実を言うとその日獲得できた唯一のものはMRI検査だけ――太ももにグレード3の肉離れがあることが発覚することになるのよ。人生とは不思議なものよね? 朝の鳥たちがさえずっていたとしても、もうその時の私の耳にはきっと届かなかったわ。

 ここで嘘はつかないわ。私はこうした一連の出来事でかなり落ち込んだ。試合から15ヶ月も遠ざかったあと、ようやく前を向いて1歩を踏み出したと感じたのに、結局2歩下がる結果になって、あまりにも残酷だと思ったわ。全仏もウィンブルドンも2年連続の欠場となるなんて…またツアーから離脱しなければならないなんて…誰かが私に悪質な嫌がらせでもしているみたいだった。私を批判する人達はこれを読んで、きっと天罰だと言うと思うわ。そう考えたい人にとっては、それも当然なのかもと思う。だけど、確かなことは、私自身はその時そんな風に思わなかったということ。あの夜、MRIの機械の中で、痛みに堪えながら、これは天罰だなんて感じていなかったのは確かよ。あの夜…私はただプレーがしたかったの。単純に残念だった。

 そしてしばらくの間落ち込んだわ。

 でもそのうちに、結果的に良かったと感じたこともあるの。もちろん怪我のことじゃなく、その後のこと。私は自分自身を再発見した――再確認したとも言えるわ――様々な場面で感じる不透明感というのかな? 完全に未知なる世界に歩いていくようなあの感覚? とにかく私はあの感覚が好きだということを。

 出場停止期間中、テニス選手としてのルーティーンの居心地より、ルーティーンがない居心地の悪さを求めていたことに気づいたの。テニスが与えてくれる気持ちを取り戻したいと思っていた…上手く言い表す言葉が思いつかないわ。もしかしたらそれは“愛のムチ”かもしれない。テニスによってどれだけ孤独になるか、疲弊するか、消耗するか、そして容赦ない方法でテニスに対する決意のほどを試される。でももし、その全てをやり通すことができたら…そうしたらそれまでとは比べようもない形で報われる。

Tim Clayton

 テニスを本当に愛しているなら、いつの日か報われるわ。

 この2年間が想像していたよりずっと辛いものであったとしても――今までとは比べ物にならないくらいね――私の試合に対するパッションは決して揺るがなかった。変化があったとすれば、より一層このパッションが強くなっただけ。

 今、私のお気に入りの一つである北米ハードコートのシーズンにむけて準備をしているの。スタンフォードでプレイした後はトロント――そこでは持てるもの全てを出すつもりよ。そしてそれから夏のシーズンに向けてどうするかを考えるわ。いくつかの大会では勝てると思うし、いくつかの大会では負けると思う。また私を批判する人がたくさん現れることは間違いないけど、同時に私の数千ものファンの人達も現れるわ。けれど、結局のところ、テニスについて、良いとか悪いとか一体誰にわかるというのかしら?――私に確実にわかることはたった一つ。

 私はとにかくテニスが恋しかった。

FEATURED STORIES